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日光田母沢御用邸記念公園



翌朝、再び、昨日来た道を日光にもどり、日光東照宮の先にある「日光田母沢御用邸記念公園」に向かいます。
御用邸は、大正天皇のご静養地として、明治32年に造営されたものです。
昭和19年には、今生天皇が学童疎開で1年間滞在されています。
昭和22年に廃止され、大蔵省関東財務局の管理下で一般公開が始まりました。
平成12年に修復工事が完了し、平成15年に国の重要文化財に指定されています。

その日光田母沢御用邸記念公園の駐車場に車を止め、道を横切って通用門から入りました。
あいにくの雨模様でしたが、そのためか人は少なく、ゆっくり見学できそうです。


日光田母沢御用邸記念公園 インデックス


御車寄から入り、受付でチケット(¥510)を購入して、邸内に入りました。
御用邸の造営にまつわる話や御用邸内の説明ビデオで、まずは概要を把握して、見学開始です。

表御食堂(おもておしょくどう)前の庭

 

最初に気に入ったのは、説明場所の直ぐ近くから見える表食堂前の中庭です。
ごてごてしたものがなくシンプルですが、なんとなく心がなごみます。

※ ここ以外にも坪庭や周囲に広い庭が整備されています。

表御食堂(おもておしょくどう)

天皇陛下が臣下、賓客などと食事を取った部屋で、大正期に増築された所です。
襖、壁、天井などは和風ですが、床は洋風のケヤキ寄せ木板貼りとなっています。
引き戸に使われている歪みのあるガラスは、建築当時のものがそのまま残されています。



庭越しに見えていた表御食堂です。今は何も置かれていませんでした。
床のケヤキ寄せ木板貼りが、とてもきれいです。

御玉突所(おたまつきじょ)



立派なビリヤード台が置かれた、御玉突所です。
皇室では、明治時代の始めから、海外からのお客様との交友のために使用していたとのことです。

謁見所(えっけんじょ)


     玉座(ぎょくざ)     違棚(ちがいだな) .
付書院(つけしょいん)  押板床(おしいたとこ)          .

謁見所です。天皇陛下が公式の来客と面会するのに使用された部屋です。
玉座はありますが座ることはなく、お立ちになって謁見されたとのことです。
この角度からは見えませんが、玉座の左には帽子を置かれた卓子(たくし)が置かれています。
天井のシャンデリアも、シンプルな作りですが、洒落ています。

 
玉座と卓子               違棚     .

部屋は、床の間や天井は純和風の書院造りです。
床は、畳の上に絨毯を敷き、和洋折衷様式となっています。
玉座を横から見ると、帽子を置かれた卓子の位置が良く分かると思います。
また、天井が、格子状の格天井(ごうてんじょう)になっているのが分かります。
違棚も、多くの餝金物が付けられた非常に凝った作りになっています。



付書院の書院窓です。黒漆と餝金物で装飾された凝った作りになっています。

御厠(おかわ)

御厠。要は天皇陛下が使用されるトイレで、木製の便座になっているようです。
皇后陛下用のものは、和式のようになっており、お召し物を掛けるものが付いているそうです。

 

左の写真は、仕切りの中に蛇口が見えていますが、説明内容を失念してしまいました。
右は、天皇陛下用のもので、畳敷きの部屋に木製の便座が鎮座しています。
小用のためのものは、手前の格子戸の後にあり、普通の陶磁器製でした。

御学問所(おがくもんじょ)

天皇陛下の書斎。移築した旧紀州徳川家中屋敷部分の1階にある。
床の間の壁などに梅の絵が描かれていることから、梅の間とも呼ばれる。

 
床の間の梅の水墨画               丸窓       .

床の間の壁から、隣の部屋の壁など、壁という壁に梅の樹が描かれています。



御学問所の小壁ですが、小壁にも梅の樹が描かれています。



これは、御学問所の欄間です。欄間の周りにも梅の樹が描かれています。

劍璽(れいじ)の間の「桜に滝」

劍璽の間とは、皇位継承の象徴である天叢雲剣の複製と、八尺瓊勾玉の安置するための小部屋です。
劍璽の間には、繧繝縁(うんげんべり)の畳が置かれており、その上に安置されるそうです。

古来より「天皇のいる場所に神器があり、神器のある場所に天皇がいる」という大原則があります。
そのため、天皇陛下が行幸(ぎょうこう)される場合は、劔璽も天皇陛下に動向します。
このように行幸に当たり、劔璽を移動させることを「劔璽動座(けんじどうざ)」と言います。



劔璽の間に続く廊下の手前にあるのが、この「桜に滝」の杉戸絵です。

その他の杉戸絵

御用邸には、スギの板がそのまま戸になっており、直に絵が描かれた杉戸絵が多く見られます。
前述の劍璽の間以外にも、天皇御座所前の廊下の展示や、御次の間の廊下奥にも見られます。



天皇御座所の廊下に展示されていた「月に梅」の杉戸絵です。

 

「月に梅」の隣に展示されていた「高砂」の杉戸絵です。
右の写真は、「岩ニ波舞鶴(いわになみまいづる)」の鶴の部分の拡大です。

※ 「高砂」は、兵庫県高砂市にある高砂神社に伝わる「尉と姥(じょうとうば)」の社伝に基づくものです。
この高砂神社の境内は、私が小さかったころの遊び場でした。



御次の間の前の廊下です。床は畳敷きの上に20色のアキスミンスター織絨毯が敷かれています。
右手は黒漆塗りの硝子窓で、奥には杉戸絵が見られます。

2階からの眺め

劔璽の間の先に3階の御展望室がありますが、通常は非公開です。
3階からの眺めほどではないでしょうが、多くの屋根が複雑に連なっているのが見られます。





あいにくの雨模様ですが、2階の室からの眺めです。
複雑に屋根が連なっているのが分かりますね。

御湯殿(おゆどの)

湯船はなく、板張りの間で、御座した天皇陛下にお湯をかける掛かり湯式だったとのこと。
お湯は、写真の右端に少しだけ写っている屋外のコンクリートの筒に貯めてあったそうです。
大正天皇までは薄衣をまとわれた上にお湯をかけるだけの禊(みそぎ)だったそうです。
夏はともかく、冬は寒そう。なお、昭和天皇からは湯船に入るようになったそうです。

 

御湯殿は、湯船も何もない、極めてシンプルな構造です。
その御湯殿を皇后御学問所から見たものです。お湯を貯めたコンクリート筒が、左下に見えます。

皇后御学問所(おがくもんじょ)

皇后御学問所が特別公開されていましたので、見学してきました。
室の特徴は、折り鶴やカエデ、花菱の釘隠し、釘隠しと意匠を合わせた襖引き手が使われています。
畳縁には、萌葱絹縁(もえぎきぬべり)が使われています。
この部屋の見どころは、樹齢400年の枝垂桜(しだれざくら)が眼前に見られることです。

 

この皇后御学問所からは、見事な枝垂桜が良く見えます。
花のピークは少し過ぎて、雨に散った桜の花びらが、庭をうっすらとピンクに染めていました。
この2階の御学問所からは、前述の御展望室が枝垂桜の後に見えています。

皇后御寝室(こうごうごしんしつ)

旧小林家別邸部分の1階部分で、柱や長押などに栂(つが)材が用いられ、畳敷きです。
畳の縁には、衣擦れを考えて絹製の萌葱絹縁(もえぎきぬべり)が使用されています。



記憶が曖昧なのですが、手前の部屋が皇后御寝室だったと思います。
見えていませんが、皇后御寝室の右手が皇后御座所(こうごうござしょ)です。
奥の部屋は、案内書には呉服棚と書かれていますが、この部屋ではないかもしれません。
どちらも萌葱絹縁の畳縁が使用されています。襖などは真っ白で清楚な感じを受けますね。

内謁見所(ないえっけんじょ)

皇后陛下が、来客と面会するところです。



天皇陛下の謁見所と比較すると違い棚はシンプルになり、シャンデリアも女性ぽいですね。

御用邸(ごようてい)の庭

御用邸に入って直ぐの表御食堂の庭以外にも、坪庭や御用邸の周囲にも庭が整備されています。
あいにくの雨でしたので、外に出てのお庭の散策はしませんでした。
御用邸内から見える部分だけですが、それでも雰囲気は伝わってきます。



表御食堂前とは別の場所で見かけた坪庭です。
ちょうど、ハクサンシャクナゲが花を付けていました。



御用邸の周囲に整備されている庭です。ここでも右手にハクサンシャクナゲが花を付けていました。



劔璽の間などを見学後、1階に下り所から見えるお庭です。
燈籠の後ろには、シロヤシオ(と思います)が満開でした。



手前を小川が流れ、その奥にシロヤシオ(と思います)の大きな株がいくつか見まれます。
小川の岸近くに見えているのは、中央付近がクリンソウ、左手がナスヒオウギアヤメと思われます。



奥の方を小川が流れ、その手前にムラサキヤシオツツジ(と思います)咲きかけていました。

御車寄(みくるまよせ)

御車寄は、赤坂離宮から移築されたもので、公式の玄関として使用されていたそうです。
格調高い唐破風形式の屋根が印象的で、移築時は柿葺の屋根だったそうです。
なお、昭和初期に銅葺に葺き替えられています。



御用邸内を一回りして、御車寄に戻ってきました。
正門方向から見た御車寄ですが、人も少なく、雨に煙って寂しげです。



御用邸入口(正門)から出て、通用口の方に回り、駐車場に戻りました。









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