ホーム旅の見聞録>日光−鬼怒川 ドライブ


日光−鬼怒川 ドライブ

2014/4/29〜2014/4/30


更新:2015/05/31

中禅寺湖や戦場ヶ原には行ったことがあるのに、日光東照宮には行ったことがありません。
それで、5月の連休の合間を縫って、鬼怒川に一泊して、日光東照宮に行くことにしました。
現地で、田母沢御用邸記念公園が公開されているのを知り、そちらにも回ることにしました。



渋滞を回避したかったので、早朝に出発し、東北自動車道から日光道を経由して行くことにしました。
早く出発したので、たいした渋滞にも合わず、無事に日光に着き、日光ICで高速を降りました。
日本ロマンチック街道に出て、東照宮に向かい、近くの駐車場に車を止めました。




最初に行ったのは、日光山輪王寺本堂 三佛堂です。
正面の金剛桜は盛りを過ぎ、散り始めていましたが、まだ、十分に楽しめます。
バックの三佛堂は、平成大修理で全体が素屋根で覆われ、その壁には三佛堂が描かれています。



内部に入って修理の様子を見学可能で、修理期間限定の天空廻廊からの景色も楽しめました。
三佛堂は、完全に解体され、個々のパーツが所狭しと並べられていました。
三仏堂を後にし、裏手に回って大護摩堂の前を通り、境内を出て東照宮に向かいました。



最初に迎えてくれるのが、柱の直径1.2m、高さは9mもある、日本一の石鳥居です。
日本三大鳥居の1つで、「黒田筑前守長政」から寄進されたものだそうです。
「東照大権現」の扁額は、畳1畳程の大きさがあり、後水尾天皇の宸筆といわれています。



石鳥居をくぐって、左手にあるのが、極彩色に彩られた高さ36mの五重塔です。
この五重塔にはいろいろな見どころがありますが、その1つが垂木です。
右の写真は、四層目と五層目の拡大ですが、四層目までが並行垂木で、五層目のみ扇垂木です。
また、心柱は四層から鎖で吊り下げられ、基礎から10cmほど浮いている構造になっています。
この構造は、東京スカイツリーの耐震設計に、取り入れられているそうです。



さらに進んで、表門を通って境内に入ると、右手に「下神庫」が、正面に「中神庫」があります。
中神庫の向かい、左手に三猿で有名な神厩舎(しんきゅうしゃ)があります。
さらに進むと、上神庫の向かいに御水舎(おみずや)と経蔵(輪蔵)があります。
なお、「下神庫」「中神庫」「上神庫」の3つの蔵を合わせて、三神庫(さんじんこ)と言われています。
青銅製の唐銅鳥居を抜け、正面の階段を登ると、左手に鼓楼、右手に鐘楼があります。
そして、正面に「陽明門」があるのですが、残念ながら修理中のため、覆いがかかっていて見えません。
その代わり、修理で現れた壁画を見ることができました。
西の「松と巣ごもりの鶴」は217年ぶり、東の「梅と錦花鳥」は40年ぶりの公開になるそうです。



陽明門を抜けると、目の前に唐門が現れました。モノトーンに近いシンプルな配色です。
配色はシンプルでも、彫り物は素晴らしいものがありました。
唐門の両サイドに広がる透塀にも素晴らしい彫刻が並んでいます。
陽明門を出て左側には、神輿舎(しんよしゃ)があり、3基の神輿(みこし)が納められています。
左手の廻廊の一画に、修理中の陽明門から退避した「随身像」と「木製神門狛犬」が置かれていました。



逆の右側には、神楽殿(かぐらでん)があり、その先の坂下門手前で「眠猫」が待ち構えています。
名工「左甚五郎」作と伝えられる彫り物ですが、眠猫の裏には、雀が戯れています。
眠猫を後にし、坂下門をくぐると、ここからは石段を200段強登ることになります。



喘ぎながら、奥宮に到着です。
鋳抜門(いぬきもん)の横から回って、奥社御宝塔(おくしゃごほうとう)に回ります。
当初、木製であったものを、後に石製に、さらに五代将軍綱吉のときに、唐銅製に改められたとのこと。
御宝塔の前には、花瓶、香炉、燭台の三具足(みつぐそく)があります。
当初は、朝鮮国王からの奉納品であったが、火災で焼け、日本で作りなおされたものとのこと。
登ってきた階段を下り、元来た道を戻ります。
行きにはパスした拝殿を見学し、陽明門を通り抜けて外に出ました。
出て右手の鼓楼の奥にある本地堂(薬師堂)、ここには鳴龍の絵があります(撮影禁止のため写真はありません)。
で、見学し、鳴龍の音を聞いてきました。実に見事な反響ぶりで、転がるように尾を引きます。
天井の龍の頭辺りが、他より凹んだ凹面鏡のようになっていて、音が拡散しにくい構造になっている由。
そのため、トンネル内で起きるフラッターエコーお同じように長く尾を引くようです。
鳴龍を楽しんだ後、東照宮を後にしました。


更新:2015/5/4
輪王寺−東照宮
     .
更新:2015/4/18
輪王寺−東照宮周りで見た野草
和名インデックス
     .
和名インデックス




日光東照宮を後にして、日光駅前、今市を経由して、一路、鬼怒川を目指します。
鬼怒川温泉の中心街を過ぎ、鬼怒川公園の先にある「若竹の庄」のお世話になりました。



夕食の会席料理に舌鼓を打ち、温泉にも満足して、眠りに着きました。
翌朝、再び、昨日来た道を日光にもどり、日光東照宮の先にある「日光田母沢御用邸記念公園」に向かいます。
大正天皇のご静養地として、明治32年に造営され、昭和19年には、今生天皇が学童疎開で1年間滞在されています。
昭和22年に廃止され、大蔵省関東財務局の管理下で一般公開が始まりました。
平成12年に修復工事が完了し、平成15年に国の重要文化財に指定されています。



日光田母沢御用邸記念公園の駐車場に車を止め、道を横切って通用門から入りました。
あいにくの雨模様でしたが、そのためか人は少なく、ゆっくり見学できそうです。


 

御車寄から入り、最初に気に入ったのは、表食堂前の中庭です。
ごてごてしたものがなくシンプルですが、なんとなく心がなごみます。



立派なビリヤード台が置かれた、御玉突所です。
皇室では、明治時代の始めから、海外からのお客様との交友のために使用していたとのことです。



謁見所です。天皇陛下が公式の来客と面会するのに使用された部屋です。
玉座がありますが座ることはなく、お立ちになった引見されたとのことです。
この角度からは見えませんが、玉座の左には帽子を置かれた台が置かれています。
部屋は、床の間や天井は純和風の書院造りで、畳の上に絨毯を敷き、和洋折衷様式となっています。
天井のシャンデリアも、シンプルな作りですが、洒落ています。



2階の室からの眺めです。複雑に屋根が連なっているのが分かりますね。
この上に3階の御展望室がありますが、この日は非公開でした。

 

この御学問所からは、見事な枝垂桜が良く見えます。
花のピークは少し過ぎて、雨に散った桜の花びらが、庭をうっすらとピンクに染めていました。
この2階の御学問所からは、上記の御展望室が枝垂桜の後に見えています。



一回りして、御車寄に戻ってきました。
正門方向から見た御車寄ですが、人も少なく、雨に煙って寂しげです。
御車寄は、赤坂離宮から移築されたもので、公式の玄関として使用されていたそうです。
格調高い唐破風形式の屋根が印象的です。
移築時は柿葺の屋根だったそうですが、昭和初期に銅葺になったそうです。


         .
更新:2015/4/18
日光田母沢御用邸記念公園
         .
         .
和名インデックス
         .



掲載している画像は、全てオリジナル画像です。したがって、その著作権は、kazに帰属します。
画像の使用については、非公開で個人使用の範囲においてのみ、その使用を許可いたします。
また、当サイトのリンクについてはフリーです。
ただし、サイト内のページ構成は予告なく変更する場合がありますので、トップページへのリンクをお願いします。

お問い合わせはこちらからお願いします。









inserted by FC2 system