京都 インデックス
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鏡池(かがみいけ)
鏡池は大仏殿が池に映るように作られた池で、大仏殿が写った鏡池の光景は有名ですね。 この写真は、大仏殿側から撮ったものですが、紅葉が池に写り込みきれいでした。 この鏡池には、ワタカという雑食性のコイ科の魚が生息しています。 琵琶湖の固有種であったものが、各地に移植され日本各地に定着しているそうです。 別名を「馬魚(ばぎょ)」といい、後醍醐天皇の御乗馬が死んで魚になったというのが、名の由来とか。 実際は、大正3年に内山永久寺跡の本堂池から、石上神宮と東大寺の鏡池に移されたものだそうです。 ※ Webで「ワカタ」と誤って紹介しているものが散見されます。ご注意ください。 |
吉城川(よしきがわ)
奈良奥山から流れ出る吉城川は、奈良公園を横切る数少ない清流です。 南大門の近くで撮影したものですが、川を覆うように紅葉したモミジが張り出していました。 |
鹿たち
奈良公園にはたくさんの鹿がいます。 朝の早い時間には、上の写真のように寝そべっているものが多くいました。 しかし、時間が経つと下の写真のようにあちらこちらで食事をしている鹿が多くなります。 |
東大寺 中門と廻廊 【重文】
東大寺 中門。1716年(享保元年)頃の再建と考えられ、国の重要文化財になっています。 ここは普段閉じられていますので、左手の回廊に沿って拝観受付に向かいます。 東大寺の中門とそれに続く回廊です。中門と大仏殿を両側からコの字型につないでいます。 大仏殿側から見た中門です。右手に国宝の金銅八角燈籠が見えています。 |
東大寺 大仏殿(金堂) 【国宝】
東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、東大寺にある仏堂で、本尊、盧舎那仏坐像が安置されています。 正式名称は東大寺金堂ですが、「大仏殿」の名の方が広く知られています。 現在の建物は1691年(元禄4年)に完成し、1709年(宝永6年)に落慶したもので、国宝に指定されています。 現存の大仏殿は、幅57.5m、奥行き50.5m、高さ49.1mあります。 奥行きと高さは創建当時とほぼ同じですが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2しかありません。 なお、過去に1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の2回、焼失している。 拝観受付から入ると、右手に大仏殿が見えます。回廊の内側には、他に建物はありません。 右手に紅葉があったので、それを入れて撮ってみました。それにしても大きい。 中門の下から見た大仏殿です。焼香してから大仏殿に向かいました。 大仏殿の鴟尾(しび)です。鴟尾とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種です。 江戸期の復興(1709年)時に鳥衾(とりぶすま)瓦を、この金色の鴟尾に変えたとのこと。 鴟尾は、水面から突き出した魚の尾びれがモチーフで、城の鯱と同じ、火除けの意味があります。 この鴟尾は、高さが3mほどもある巨大なものですが、大仏殿が大きいので大きく感じませんね。 大仏殿の正面に立つ「金銅八角燈籠」<【国宝】です。 総高は約4.6mあり、わが国に残る銅燈籠では、最大最古のものです。 八面の火袋(ひぶくろ)は羽目板になっており、楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が浮き彫りされています。 他の4面は、扉になっており、唐獅子が浮き彫りされています。 羽目板の内、北東面(銅祓子)と南東面(笙)はレプリカで、北西面(縦笛)と南西面(横笛)がオリジナルです。 右の拡大写真で見えているのは、オリジナルの南西面(横笛)音声菩薩です。 |
東大寺 大仏殿の仏像
大仏殿には、本尊の盧舎那仏と4体の仏像が納められています。 本尊盧舎那仏に向かって左に虚空蔵菩薩坐像、右に如意輪観音菩薩坐像があり、三尊形式をとっています。 さらに、盧舎那仏の後ろ左隅に広目天立像、右隅に多聞天立像があります。 大仏の造像は、天平17年(745年)から始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が行われた。 その後、前述のように2回の大火に合い、現在の大仏は江戸時代に頭部、体部の多くは鎌倉時代に補修されたもの。 台座などに建立当時の天平時代の物が残っているとのことです。 盧舎那仏坐像【国宝】。「盧舎那仏」とは釈迦如来の別名で、「光明遍照」(こうみょうへんじょう)の意味。 左手に宇宙の智慧を、右手に慈悲を表わしながら、悟りに導く仏様です。 現在の大仏は、像高は14.98m、基壇の周囲は約70mあります。 大仏に向かって右の柱には四角い穴がありますが、大仏の鼻の穴と同じ大きさになっています。 この穴をくぐると無病息災のご利益があると言われています。 虚空蔵菩薩坐像 広目天立像 多聞天立像 如意輪観音坐像 こくうぞうぼさつざぞう こうもくてんりゅうぞう たもんてんりゅうぞう にょいりんかんのんざぞう 本尊盧舎那仏の脇侍(きょうじ)、 虚空蔵菩薩坐像【重文】と 如意輪観音坐像【重文】は、江戸時代の作で、木造です。 大仏が大きいのであまり高さを感じませんが、どちらも7mを超える高さがあります。 大仏の守護として、北西に広目天立像、北東に多聞天立像の2躯があります。 四天王の残り「持国天」と「増長天」は、頭部のみが大仏殿に展示されています。 創建当時には四天王像が鎮座していたのが、焼失後の再建時に二天の体部は造られなかったようです。 |
南円堂(なんえんどう) 【重文】
南円堂は、弘仁4年(813年)に藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂です。
堂内には、本尊不空羂索観音坐像、四天王立像、法相六祖像が安置されていました。 しかし、現在、法相六祖像は国宝館に移されています。 西国三十三所観音霊場の第九番札所になっています。 三条通から興福寺に入った時、左手に見えるのが南円堂です。 朱色に塗られた八角堂ですので、目立ちます。 右手に見えるのは南都八景の1つ「南円堂藤」で、藤棚の葉も黄褐色に色付いていました。 |
五重塔(ごじゅうのとう) 【国宝】
塔は、仏教の祖である釈迦の舎利(しゃり=遺骨)を納める墓標です。
五重塔は、天平2年(730年)に光明皇后の発願で創建されました。 現存の塔は、応永33年(1426年)頃に再建されたもので、高さは50.1mあります。 木造の塔としては、東寺五重塔に次ぐ、日本で2番目に高さを誇っています。 南円堂を後にし、振り返ると五重塔が正面に見えています。 その左手には東金堂が見えています。 |
東金堂(とうこんどう) 【国宝】
東金堂は、神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願して、創建されました。
以来6度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は応永22年(1415)に再建されたものです。 堂内には、本尊薬師如来(やくしにょらい)像、日光(にっこう)・月光菩薩(がっこうぼさつ)像、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像、 維摩居士(ゆいまこじ)像、四天王(してんのう)像、十二神将(じゅうにしんしょう)像が安置されています。 東金堂と五重塔です。残念ながら時間がなく、この後、この両者の間を通ってバス停に向かいました。 |
石段(140段)
駐車場から階段を降り、土産物屋の前を通って行くと、石段が見えてきました。 本殿、拝殿に続く140段の石段です。 その両側には紅葉し始めたモミジが、覆いかぶさるように枝を伸ばしていました。 |
神廟拝所(しんびょうおがみしょ)【重文】
石段の途中、左手に神廟拝所があり、その周りにも多くの紅葉したモミジがありました。 柱などが鮮やかな朱色に塗られていますが、紅葉もそれに負けていません。 |
拝殿【重文】・本殿【重文】
拝殿外廊下の吊り灯籠と紅葉です。 まだ、青味が残る紅葉ですが、真っ赤になればいい眺めでしょうね。 なお、拝殿の中にはいろいろな展示があり、多武峯縁起絵巻の一部も展示されていました。 舞台造の拝殿の下部です。拝殿を支える柱が整然と並んでいます。 なんとなく、伏見稲荷の千本鳥居のイメージに似ていますね。 拝殿の向かいには、藤原鎌足公をお祀りする本殿があります。 朱塗りの三間社隅木入春日造で鮮やかに彩色され、花鳥などの彫刻が施されています。 大宝元年(701)の創建で、現存は嘉永3年(1850)に建て替えられたものです。 |
西宝庫(にしほうこ)【重文】
拝殿を出ると右手に西宝庫が紅葉をバックに建っています。 西宝庫の先には十三重塔が、紅葉の間から見えています。 |
十三重塔(じゅうさんじゅうのとう)【重文】
十三重塔は、父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等によって西暦678年に建立されました。
現存の塔は、享禄5年(1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。 高さは約17mあり、屋根は伝統的な檜皮葺きで、神仏混淆時代の名残です。 十三重塔も朱塗りで鮮やかな建物ですが、それを囲む紅葉はそれ以上です。 紅葉に十三重塔も霞んでしまいますね。 |
総社拝殿(そうしゃはいでん)【重文】
十三重塔を後にしてけまりの庭に降りると、総社拝殿があります。 その周りにも紅葉したモミジが見られました。 |
祓戸社(はらえどしゃ)
談山神社を後にすべく、下に降りて行ったとき、車のお祓いをする所にも紅葉が。 池の先に祓戸社があり、その周りを紅葉が取り巻いていました。 |
表門
表門の脇の「女人高野室生寺」と刻まれた石碑があります。
その上部には、「九目結紋(ここのつめゆいもん)」が刻まれています。 これは五代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院の紋だそうです。 太鼓橋の上から、紅葉を脇に入れて撮った表門です。 ここは閉鎖されているので、右に曲がって拝観受付に進みます。 その途中、護摩堂のあたりで大きな紅葉した樹がみえました。 さらにその先には、大きく張り出し、見事に紅葉したモミジがありました。 |
仁王門(におうもん)
仁王門は、元禄時代に焼失し、その後再建されずにいました。
それが、昭和40年(1965)11月に再建され、両脇の仁王像も再興されました。 受付を過ぎて直ぐの所に仁王門はあります。 朱塗りの立派な門で、両脇に青の吽形(うんぎょう)像と赤の阿形(あぎょう)像が見えています。 仁王門を抜けて左手に「バン字池」、その先に長い鎧坂がありました。 |
本堂(ほんどう)【国宝】
室生寺の本堂、潅頂堂(かんじょうどう)は、密教化が進んでいた鎌倉時代後期、延慶元年(1308)の建立。
真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心。 五間四方入母屋造りの和様と大仏様の折衷様式で、屋根は「桧皮葺」になっています。 時間がなかったので、弥勒堂、金堂をスルーして、その先の本堂まで一気に進みました。 本堂の前にも立派なモミジがあり、紅葉が本堂に彩りを添えていました。 内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重文)が安置されているそうですが、秘仏のため見ることはできません。 という訳で、さらに先を急ぐため、五重塔に向かいます。 |
五重塔(ごじゅうのとう)【国宝】
800年頃の建立とされ、屋外の木造五重塔としては、法隆寺塔の次ぎに古い塔です。
その高さは、16.22mと屋外に立つ木造五重塔としては、日本最小です。 木部は朱塗りで、屋根は桧皮葺です。 最上部の九輪の上には、水煙(すいえん)の代わりに宝瓶(ほうびょう)と八角形の宝蓋(ほうがい)という珍しい形式です。 1998年9月22日、台風7号の強風で杉の大木が倒れかかり、大きな被害を受けました。 しかし、心柱など根幹部分に被害がなかったため、1999年〜2000年にかけて修復されました。 本堂脇から五重塔までは階段です。下から見ると階段の真上に五重塔が見えます。 階段を登りきると、五重塔が、こじんまりとしていますが、優美な姿を見せてくれました。 下から見ても、上から見ても優美な姿をしています。 その脇から奥の院に続く参道が伸びています。 この先、集合時間までに戻れるか微妙だったので、ここからは一人で奥の院に向かいました。 |
奥の院(おくのいん)
奥の院の「御影堂(ごえいどう)」は、鎌倉時代の建物で、大師堂とも言い、弘法大師を祀る建物です。
御影堂は板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上には石造の露盤と宝珠がある。 各地にある大師堂の中でも最古級の堂です。 常燈堂(じょうとうどう)/位牌堂(いはいどう)は、懸造のお堂です。 懸造の舞台には休憩場所が設けられており、木々の隙間から室生村が垣間見えます。 奥の院へは、ひたすら階段を登っていきます。終盤に近付くと、石段の上に懸造りが見えてきます。 その階段の両脇には、杉の巨木がそびえており、見上げると写真のような感じに見えます。 御影堂(ごえいどう)【重文】 位牌堂(いはいどう) . 御影堂は、四方の中央に扉があり、その両脇は白壁となっています。 その周囲には縁がありますが、雨除けの斜め板で覆われていました。 その御影堂の後には、「七重石塔」が諸仏出現岩の頂上に建つています。 位牌堂の裏に回って、懸造の舞台に設置されているベンチで一息つきました。 位牌堂 懸造の舞台からは、紅葉したモミジが楽しめました。 とはいっても、見通しが悪く、絶景かな絶景かなとは行きませんでした。 さて、バスの集合時間が近づいていたので、急いで階段を下り、なんとか集合時間に間に合いました。 後で聞くと、時間がなくて奥の院に登るのをあきらめた方が多かったようです。 |
太鼓橋より
太鼓橋からの眺めです。表門に向かって右側には、「三宝杉」と呼ばれる杉の巨木が見えます。 その根元を紅葉が彩っていました。反対側も川縁を紅葉が彩っています。 その紅葉の後に見えているのは、慶雲殿です。
室生寺で今回のバスツアーは終了となり、後は帰るのみ。新幹線の名古屋駅まで直行です。
さすがに疲れが出て、名古屋駅までしっかりと寝てしまいました。 新幹線の発車時刻まで時間がありましたので、名古屋名物の手羽先を探しに行きました。 手羽先をお土産に買って、新幹線で帰宅の途に付きました。 それにしても、今回のバスツアーはグッドタイミングで、紅葉を満喫したツアーでした。 |