奈良最大の寺院である東大寺、最も盛大を極めた興福寺、その「東」と「福」の字を取ったのが東福寺です。
嘉禎2年(1236年)より建長7年(1255年)まで、完成までに実に19年を費やしたとのこと。
その東福寺ですが、月下門に向かう辺りから人波で、前に進むのも四苦八苦する大渋滞です。
なんとか臥雲橋(がうんきょう)にたどり着きましたが、ここが難所でした。
東福寺の紅葉、見所は多々ありますが、最も印象に残っているのはここです。
臥雲橋から眺める通天橋で、その間を見事に紅葉したモミジが埋め尽くしていました。
ここが入口になるのですが、写真を撮りたい人で埋め尽くされていました。
そのため、写真を撮るのはもちろんですが、前に進むのにも四苦八苦でした。
東福寺を後にして、人ごみの中を来た道を戻り、バスに戻りました。
本日の昼食を取る場所に移動し、昼食です。
その後、次の目的地である金戒光明寺に向けて北上しますが、やはり混んでいます。
道路に止まったバスを降り、ガイドさんに付いて、金戒光明寺に向かいます。
<紫雲山・くろ谷 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)>
「くろ谷(だに)さん」の名で親しまれている浄土宗の大本山です。
承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまりです。
西山連峰、京都御所、小倉山を眺み、山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院があります。
また、幕末に京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった所です。
金戒光明寺は、春の桜と秋の紅葉で有名な所です。
大方丈の所で、紅葉に交じって
フユザクラが咲いており、意外な出会いでした。
池泉回遊庭園からの戻り道で見かけたモミジです。逆光で赤さが一層引き立っていました。
金戒光明寺を後にして、元来た道を戻り、バスで次の目的地である南禅寺に向かいます。
比較的近い場所でしたので、ほどなく到着。
駐車場でバスを降り、ガイドさんに付いて、南禅寺に向かいます。
<臨済宗南禅寺派大本山 南禅寺>
南禅寺は、710年あまり前の正応4年(1291年)に開創されました。
禅宗とは、臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称です。
臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の大本山です。
南禅寺の三門。五間三戸の三門は、高さが22mあります。
中門を入り、三門までの間に多くの紅葉が見られました。
全長93.2メートルのアーチ型橋脚が風格あるたたずまいを見せています。
レンガ、花崗岩造りのアーチ橋で、TVドラマなどでも時々見かけますね。
周りには紅葉した木々は少なく、赤レンガの水路閣のアクセントになっています。
南禅寺を後にし、歩いて永観堂に向かいます。
モミジの永観堂といわれるだけに、わくわくしながらの移動です。
さほど歩くことなく、永観堂に到着。見事な紅葉が見えてきました。
<聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺 永観堂>
聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺(しょうじゅらいごうさん むりょうじゅいん ぜんりんじ)。
永観堂(えいかんどう)は、第七世法主永観律師(ようかんりっし)にちなむ通称で、上記が正式名称です。
浄土宗西山禅林寺派の総本山で、仁寿三年(853年)の草創以来、もみじの永観堂として知られています。
また、御本尊の「みかえり阿弥陀」像も有名ですね。
もみじの永観堂の名に恥じない、見事な紅葉でした。
枯山水の庭園、苔むした石庭、放生池と、どこを見ても紅葉したモミジがあり、カメラマン泣かせです。
特に、放生池にシンメトリーに写り込む紅葉が見事で、多くの人がシャッターを切っていました。
永観堂を後にして、バスの待つ駐車場まで、哲学の道を歩きます。
<哲学の道>
哲学の道は、琵琶湖疏水と並行して、若王子神社から法然院下を銀閣寺に至る約1.8kmの道です。
その名前は、哲学者西田幾多郎が思案しながら歩いた事に由来するとか。
春は、京都でも屈指の桜の名所で、葯450本の桜が植えられ、関雪桜とも呼ばれます。
哲学の道沿いの桜は、既に紅葉が終わり、ほとんど落葉していました。
しかし、疏水脇には紅葉や黄葉した木々が多く見られます。
また、大きなサザンカの木が白やピンクの花をたくさん咲かせており、紅葉とコラボしていました。
哲学の道から駐車場に入り、バスで今日の最終目的地である嵐山に向かいます。
京都の街を東から西にほぼ水平に移動することになるのですが、大渋滞で遅々として進みません。
陸橋上から嵐山が見える頃には、既に日が落ちてしまいました。
<嵯峨野・嵐山>
日は落ちても、人出はまったく減らず、渡月橋を渡って並ばないと中にも入れません。
渡月橋を渡って最後尾に並び、渡月橋をUターンして商店街の方へ入りました。
真っ暗になってしまったため、紅葉はあきらめ、竹林の小径を見に行くことにしました。
竹林の小径は、野宮神社から天龍寺の北側を通って大河内山荘庭園へ通じる長さ400mほどの道です。
京を代表する風景であり、テレビドラマなどにもよく登場しますね。
日が落ちてしまって、青々とした竹が両側から覆いかぶさるような所は見れませんでした。
渡月橋の方向を撮影したものです。分かりづらいですが、中央付近に見えているのが渡月橋です。
橋脚がずらりと並び、橋脚上部がライトアップされています。
2日目の工程はこれで終了。今日の宿泊場所である大阪市内に向かいます。
昨日とは異なり、ホテルに到着後、あわただしく夕食、入浴を済ませ、明日に備えました。
3日目、やはりあわただしく朝食を済ませ、バスで奈良方面に向けて出発です。
今日は、奈良近郊の紅葉の名所をはしごです。まず、最初に向かうのは奈良公園・東大寺です。
大阪市内の高速を走っているとき、見事な黄葉越しに大阪城が見えました。
残念ながら、想定外でしたのでカメラを準備しておらず、写真は撮れませんでした。
※ このページの写真は、主なものを抜粋したものです。奈良の詳細は、
こちらをご覧ください。
<奈良公園>
東大寺、興福寺、 春日大社や周囲の豊かな緑も取り込んだ600ヘクタールにおよぶ広大な公園で、
「大仏と緑と鹿」で代表される古都奈良のシンボル的な存在です。
明治13年2月14日に開設され、年間1,300万人が訪れます。
奈良奥山から流れ出る吉城川は、奈良公園を横切る数少ない清流です。
南大門の近くで撮影したものですが、川を覆うように紅葉したモミジが張り出していました。
鏡池は大仏殿が池に映るように作られた池で、大仏殿が写った鏡池の光景は有名ですね。
この写真は、大仏殿側から撮ったものですが、紅葉が池に写り込みきれいでした。
鏡池を後にして、東大寺 中門を左折して回廊にある拝観受付に向かいます。
<東大寺>
東大寺は、華厳宗大本山の寺院で、金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)とも言います。
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺で、本尊は、「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。
奈良時代には、大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔を含む大伽藍が整備されていました。
その後、2度の大火で焼失し、大仏は台座など一部が残るのみで、後は鎌倉時代、江戸時代に補修されたものです。
拝観受付から入ると、右手に大仏殿が見えます。回廊の内側には、他に建物はありません。
右手に紅葉があったので、それを入れて撮ってみました。それにしても大きい。
回廊沿いに中門まで戻り、焼香をして、大仏様に合いに行きました。
虚空蔵菩薩 広目天 盧舎那仏 多聞天 如意輪観音
大仏殿には、本尊の盧舎那仏と4体の仏像が納められています。
本尊盧舎那仏に向かって、左に虚空蔵菩薩坐像、右に如意輪観音菩薩坐像が安置されています。
さらに、盧舎那仏の後ろ左隅に広目天立像、右隅に多聞天立像が安置されています。
東大寺を後にし、南大門に向かう途中、東大寺ミュージアムによることにしました。
多くの重文や国宝が展示されていましたので、それらを観賞し、ミュージアムを後にしました。
南大門を抜け、奈良国立博物館の前を通って、公園を抜けて興福寺へ向かいました。
<興福寺>
興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山で、南都七大寺の一つに数えられています。
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺です。
古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。
東金堂と五重塔です。東金堂は、神亀3年(726年)、元正天皇の病気平癒を祈願して創建されました。
五重塔は、天平2年(730年)に光明皇后の発願で創建され、日本で2番目に高さを誇っています。
興福寺からバスに戻り、次の目的地である談山神社に向かい、南下します。
その途中、バスの中から大神神社の大鳥居や飛鳥の石舞台古墳を見ることができました。
<談山神社>
多武峰(とうのみね)にある神社で、祭神は中臣鎌足(談山大明神・談山権現)です。
神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)でした。
駐車場から階段を降り、土産物屋の前を通って行くと、石段が見えてきました。
本殿、拝殿に続く140段の石段です。
その両側には紅葉し始めたモミジが、覆いかぶさるように枝を伸ばしていました。
西宝庫 十三重塔 総社拝殿
境内には、多くの紅葉があり、紅葉が朱塗りの建物を艶やかに彩っていました。
十三重塔は、藤原鎌足の追福のために、西暦678年に建立され、現存の塔は、享禄5年に再建されたもの。
談山神社を後にして、バスの駐車場に戻り、次の目的地である室生寺に向かいます。
山道に入ると乗用車の大渋滞。バスを優先的に通してくれたので、助かりました。
<室生寺>
室生寺は、真言宗室生寺派大本山の寺院で、山号を宀一山(べんいちさん)と号する。
開基(創立者)は賢憬(賢m)、本尊は釈迦如来で、室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する山岳寺院です。
女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名があります。
太鼓橋を渡った正面の表門、そこを右折した先、護摩堂のあたりで大きな紅葉した樹がみえました。
仁王門から弥勒堂、金堂を通り過ぎて、その先の本堂まで一気に進みました。
本堂の前にも立派なモミジがあり、紅葉が本堂に彩りを添えていました。
本堂脇から五重塔までは階段です。下から見ると階段の真上に五重塔が見えます。
奥の院へは、さらに階段を登っていきます。終盤に近付くと、石段の上に懸造りが見えてきます。
奥の院 位牌堂の懸造の舞台からは、紅葉したモミジが楽しめました。
とはいっても、見通しが悪く、絶景かな絶景かなとは行きませんでした。
更新:2015/12/5
香嵐渓
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更新:2015/12/5
京都
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更新:2015/12/5
奈良
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