四国を巡る旅
1日目インデックス |
高知市・桂浜
徳島空港でバスに乗り換え、徳島自動車道〜高知自動車道を走って、一気に高知へ入りました。
市内に入ると、とさでん交通の路面電車と時折すれ違います。 子供の頃、路面電車は神戸でよく見た光景で、たいへん懐かしかったです。 そんな路面電車をながめていると、バスガイドさんが播磨屋橋の説明を始めました。 あれが播磨屋橋ですと案内された橋の何と小さい事か。イメージとかけ離れていて、ちょっとびっくり。 高知城の横を通って、桂浜の駐車場に到着です。弧状に広がった砂浜には、大きな波が寄せていました。 普通の砂浜なのですが、太平洋に面しているだけに波は荒く、沖合の海の色が濃い暗青色です。 この辺りは、黒潮が近くを流れていて、水深が急に深くなっているために、色濃く見えるのでしょう。 なお、桂浜は波が荒れやすく、引き波も強いため、遊泳禁止だけでなく、波打ち際に近づくのも禁止です。 <播磨屋橋> 播磨屋橋は、江戸時代に播磨屋と櫃屋を隔てていた堀を往来するために掛けられた私設の橋だそうです。 1998年に朱色の欄干から石造りの橋になったものを、はりまや橋公園の整備時に復元したそうです。 ご覧通り、えっと思うくらい小さな橋で、大きな橋と勝手にイメージしていたので驚きました。 <とさでん交通の路面電車> とさでん交通は、土佐電気鉄道から継承した総延長25.3kmの路面電車を運行しています。 中央に窓があり、3つに区切られている車両が700形電車で、その隣やラッピング電車は600形電車です。 <高知城 天守> <高知城 追手門> 江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、これら3つが現存するのは高知城のみです。 追手門は枡形の巨大な石垣で囲まれた入り口で、敵を3方向から攻撃できるようになっているそうです。 高知平野の中ほどに位置する大高坂山(標高44.4m)に築かれた梯郭式平山城で、 前述の3つを含めて15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。 <高知城 天守> 天守は、南北に千鳥破風、東西に唐破風を設けた安土桃山時代の様式で、最上階には高欄があります。 1727年(享保12年)に消失し、1747年(延享4年)に忠実に再建されたと云われています。 <桂浜公園 坂本龍馬の銅像> 坂本龍馬の銅像は、台座は8m、龍馬は5.3mという大きさで、着物にブーツという出で立ちです。 この銅像は、龍馬を慕う高知県内の若者たちが募金を集め、昭和3年に完成したものです。 1983年(昭和58年)と1999年(平成11年)に2回の修復が行われています。 <龍頭岬から高知新港方面> <龍頭岬(上龍頭岬)> <桂浜と龍王岬(下龍頭岬)> 桂浜は、龍頭岬(りゅうづざき)と龍王岬(りゅうおうざき)に挟まれた砂浜です。 上段の写真は、龍頭岬から桂浜と反対方向(高知新港方向)に広がる砂浜を撮ったものです。 下段左側が龍頭岬(上龍頭岬)で、岬の方まで石を積み上げた護岸が作られています。 その右側に広がるのが桂浜で、五色の砂と呼ばれる礫浜と松林が美しい箱庭的景勝地です。 「よさこい節」にも唄われるほど月の名所として知られています。 古くは「勝浦浜」などと呼ばれていたものが、カツウラがカツラに転化したものです。 そして、月の名所にかけて、月に生えるといわれる「桂」の漢字が当てられました。 これは中国では月面上の影を桂(けい)の木にに見立てていたことに由来しているようです。 日本にはまったく別種の桂(カツラ)がありますが、字が同じことで混同されたものと思われます。 余談ですが、月桂樹が渡来した際、カツラに似て葉の香りが強いことから「月の桂の木」を当てたとか。 <龍王岬にある龍王宮(海津見神社(わたつみじんじゃ)> 龍王岬の先端に「海津見神社」があり、通称「桂浜の竜宮様、竜王宮」と親しまれています。 階段を上った先に鳥居があり、その左手に小さな海津見神社の祠が見えています。 御祭神は大海津見神で、海上安全、海中安全、さらに恋愛成就の神様として信仰されています。 <仁淀川河口の上流側> <仁淀川河口の下流側> 桂浜を後にして、四万十川に向かって進んでいるときに見かけた仁淀川の河口です。 下流側には砂州が出来ていて、その周囲が白っぽくなって浅葱色(あさぎいろ)になっていました。 沖合の紺色とは明らかに異なりますが、遠浅によるものか、真水が混ざったことによるものかは分かりません。 この浅葱色というか、青緑色の海の色は、子供の頃から慣れ親しんだ海の色に近く、安心感を覚えます。 四万十川に着くまで、海岸近くの道路を走ることが多かったと思います。 そこで目にした海岸の風景ですが、上記のように荒々しい感じの所が多々ありました。 上記は、おそらく黒潮町白濱の海岸ではないかと思いますが、岩礁が多く、白波が砕けていました。 |
四万十川(しまんとがわ)
四万十川は、高知県西部を流れる一級河川で渡川水系の本流です。全長196kmの四国内で最長の川です。
不入山(いらずやま)を源流とし、高知県中西部を逆S字に蛇行し、四万十市で太平洋に注ぎ込みます。 なお、河口付近は「渡川(わたりがわ)」のため、水系名は、前述の通り渡川水系となっています。 河川法上、1928年〜1994年までは渡川が正式名称で、1994年に四万十川に改名されました。 本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」とか、 また、柿田川、長良川と共に「日本三大清流の一つ」と呼ばれます。 名水百選や日本の秘境100選にも選ばれていますが、科学的な水質調査ではそれほど良くはない。 どちらかというと、土佐市を流れる仁淀川の方が水質的には良い状態にあります。 四万十川で有名になったものに沈下橋がありますが、本流に22ヶ所、支流も含めると47か所にあります。 欄干の無い鉄筋コンクリート造りで、通常水位より2〜3m上に掛けられています。 大雨等で増水時、水面下に沈下することで流木などが引っ掛かって橋全体が損壊するのを防止しています。 四万十川に着く早々、遊覧船に乗って四万十川を遡り、沈下橋を見に行きました。 通常水位の場合、上の写真のように遊覧船が通過するにも十分な高さがあります。 これが沈下するということは、水位の上昇はこれ以上ということで、相当に増水することを意味します。 沈下橋をくぐる際、ちょうど車が通過していきました。 幅に余裕があるとはいえ、初めてここを通るとなると、相当な覚悟がいりそうです。 私だったら、二の足を踏むかもしれません。 上流でUターンして、再度、沈下橋をくぐって元の乗船場に戻ります。 その途中、河岸に漁船が数隻係留されていましたが、アユとかウナギなどの漁をするのでしょうか。 バスに戻って、今日の宿泊地の足摺岬のホテルに向かいます。 途中、四万十大橋を渡るときに見えた河口近くの四万十川? いや渡川?でしょうか。 橋を渡って、川沿いに走っているとき、日没を迎えました(18:02)。 四万十川に着いて以降、ずっと雨が降っているので、暗くなるのも早いです。 |