どんよりとした曇り空。今にも降り出しそうな雲行きです。
飛行機は、機種変更がありましたが、定刻通りに出発。
低層の雨雲を突き抜けたら、低層雲の上に富士山が顔を出していました。
が、その上には中層雲がべったりと張り付いて、雲にサンドイッチされているようでした。
テイクオフから20分もすると最高高度に達したようで、中層雲を抜け、高層雲の隙間から青空が見えました。
空が青いのは、空気中の微粒子に青や紫の光が散乱されて、あらゆる方向から届くためです。
高高度になると微粒子が減り、青い散乱光(紫も)が減って宇宙の暗さが見えてきます。
写真を撮ると、右の写真のように上空になるにつれ、濃い青に変わって行くのがよく分かります。
宇宙船で地球を離れて行くとき、きっと、濃い青からさらに漆黒の世界に変わって行くのでしょう。
そのとき、ガガーリンではないですが、漆黒の闇に浮かぶ青い地球に感動するのでしょうか。
私が生きている間には、宇宙旅行が出来るようになるとは思えないので、ちょっと残念です。
ひまわり9号の
初画像が2017/1/24に発表され、それを見て思った次第です。
空港でバスに乗り換え、最初の目的地である酒蔵(松波酒造さん)に向かいました。
若女将が、日本酒の製造工程をいろいろと説明してくれます。
ここで初めてお酒を搾る「槽(ふね)」を見ました。
別の所で、製造工程は一通り見たことがあるのですが、そこには槽はありませんでした。
次に訪れたのが見附島(みつけじま)です。その形から「軍艦島」とも呼ばれる高さ28mの奇岩です。
私には、軍艦と言うより、ぼさぼさ髪のとぼけた顔にしか見えないのですが。
島の名前ですが、弘法大師が佐渡から能登へと渡る際、最初に目についた島というのが由来とか。
周囲400m(長さ160m、幅50m)で、岸から200mほど沖合にあります。
この見附島、島全体が第3期珪藻泥岩で出来ており、陽光を浴びると金色に輝くとのこと。
この日は、あいにくの天気で、淡黄褐色の岩肌が輝くことはありませんでした。
珪藻泥岩は強い岩ではないので、波や風雨の浸食で徐々に小さくなっているとのこと。
資料によると、この80年で2割前後、小さくなっているそうで、
その崩れた珪藻泥岩で、島まで踏み石が作られているそうです。
その見附島の向かって左側に小さな島(岩礁?)があります。これが見附島の将来の姿かもしれません。
次に訪れたのは、須須神社(すす と濁らないのが正式な読み方とのこと)です。
参道鳥居の前には、子供を抱いた狛犬がお出迎え。子持ちの狛犬は珍しいそうです。
鳥居の奥の参道は、うっそうと茂った木々で覆われ、その中を進みます。
この境内の原生林は国の天然記念物に指定されていて、樹齢が500年を超えるものもあるそうです。
参道をしばらく進むと、石段の上に須須神社(金分宮)の拝殿が見えてきました。
階段を上がると、参道が続き、その先の石段を上がると拝殿です。
拝殿を横に回ると、裏手に本殿を見ることができます。
境内の駐車場横には、寺家(じけ)キリコの収納庫があり、予約すれば内部の見学も可能とのこと。
今回は見学はなしで、看板の説明のみ。日本最大のキリコで、高さ16.5mで4tもあるとのこと。
次に向かったのは禄剛埼(ろっこうざき)灯台。雨の中、急な坂道を登ると灯台が見えてきました。
一般の灯台と比べると、背が低いです。立地が高台(46m)の上なので、高くする必要がないためとのこと。
明治16年(1883年)にイギリス人技師によって設計され、Aランクの保存灯台に指定されています。
一般の灯台では、レンズを回転させて点滅させるが、この灯台は遮蔽板の回転で点滅させているそうです。
禄剛埼灯台を後にして、垂水の滝に向かう途中、奥能登塩田村に立ち寄りました。
昔ながらの揚げ浜式製塩法で作る塩が、味が良いと評判とのこと。
人力で海水をくみ上げ、塩田に撒いて天日で濃縮し、煮詰めて塩を結晶化する手法です。
濃縮した海水で煮たジャガイモが試食でき、程好い塩味でした。
※ 出身地の瀬戸内地方でも子供の頃には製塩が盛んで、「流下式塩田」があちこちにありました。
「揚浜式」と「入浜式」製塩法の後に確立された製塩法で、その後は「イオン交換膜法」に変わっています。
この日、最後に訪れたのが垂水の滝です。落差35mほどで、直接海に注ぐ珍しい滝とのこと。
冬の強風が吹くときには、滝の水が上空に吹き揚げられるので、「吹き上げの滝」の別名があるそう。
この日、あまり風は吹いていませんでしたので、滝の落下地点まで行くことができました。
多段の滝ですが、滝壺の類はなく、流れ落ちる先は海岸の岩礁です。
なお、滝の横に見えるのは「八世乃洞門」で、能登半島地震(2007年3月25日)の崩落で廃道になっています。
現在は、「八世乃洞門新トンネル」が2009年に開通し、使われています。
この日の旅程はこれで終わり、宿に直行です。
2日目、いよいよ白米の千枚田に行きます。楽しみ。
内海側にある宿から日本海側に抜けると、荒れた日本海が目に飛び込んできました。
雨は上がりましたが、すっきりとは晴れない空と荒れた海は、冬の日本海のイメージです。
そうこうしている内に白米の千枚田に到着。
山間の棚田はあちこちにありますが、海に面した棚田は少なく、ここがその1つです。
高洲山の斜面1.2haに1,004枚の大小さまざまな棚田が並んでいます。
国指定文化財名勝に指定され、日本初の世界農業遺産に認定されています。
時期的には、秋の刈り入れが終わり、雪の降り出す前なので、ちょっとさびしい風景です。
畔には、ライトが点々と設置されているので、日が暮れるとライトアップされるのでしょう。
改めて、四季折々の写真を撮ってみたいと思いを新たにしました。
千枚田を後にして、輪島の漆器店へ。そこで輪島塗りの工程の説明を受けました。
輪島塗りの特徴は、焼いた珪藻土を漆に混ぜて下地に塗ることで強度を上げることだそうです。
漆塗りの加飾技法には、「沈金(ちんきん)」と「蒔絵(まきえ)」があります。
左の写真は、沈金の彫りを行っている所です。漆を入れ、金銀粉などを埋め込みます。
右の写真は、沈金の加飾を行って出来上がった衝立です。金額は聞かない方が良いです(笑)。
漆器店から輪島の朝市に移動です。大勢のお客さんでにぎわっていました。
通りの酒屋さんでお土産を物色中、突然、店に土屋太鳳さんが入ってきました。
店の女将さんとは顔見知りのようで、挨拶をして、甘酒を飲んで行かれました。
この通りの外れにあったお店に入り、牛肉の能登丼(右の写真)をいただきました。
能登牛かと思っていたのですが、普通の牛肉でした。能登牛ではこの何倍かの値段になるとか。
その後、のと七尾線の穴水駅へ。
駅には遠藤関の地元ということで、遠藤関がお姫様だっこした顔出し看板がありました。
ここで、普通列車に乗り込み能登中島駅へ向かいます。
途中、車窓から中央の写真のような物がいくつか見られました。
ぼら待ちやぐらで、江戸時代から続けられていたそうですが、1996年に廃止になったとか。
今は、観光用にモニュメントとして残されているのだそうです。
のと七尾線は、大半を海岸線に沿って走っていますが、民家と樹林の間を通ります。
能登中島駅でバスに乗り換えて戻る途中、七尾北湾から能登島や大口瀬戸が望めました。
その大口瀬戸の方を良く見ると、蜃気楼が出ているようです。
右の写真はその拡大で、手前の半島に対して、後の半島が宙に浮いています。
最後の訪問地である能登ワインのワイナリーに向かいました。
案内看板を曲がるとブドウ畑が目に飛び込んできました。
果樹としてのぶどうは平棚に作りますが、ワイン用は垣根のように縦に作られます。
駐車場に着くと能登ワインの看板が出迎えてくれました。
ワイナリーの入り口近くから見たブドウ畑です。日本らしくない景観ですね。
ここのブドウ畑は極一部で、数キロ離れた所にこの何倍ものブドウ畑があるそうです。
ワインの製造工程を一通り見学し、その後、いろいろ試飲して好みのワインを購入しました。
ワイナリーを後にして、ほろ酔い気分で空港に到着。出発する頃には日が暮れてしまいました。
上空に上がり、最高高度に達した頃には、また太陽が顔を出し、雲海を朱に染め上げていました。
漆黒の羽田空港に到着。帰りのリムジンバスを探していると、またまた、土屋太鳳さんに遭遇。
同じ便で羽田に戻ってこられたようです。最後まで、気分の良い旅になりました。