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奥能登ツアー 詳細

<見附島・須須神社・禄剛埼灯台・垂水の滝・白米の千枚田・輪島>

2016/10/28〜2016/10/29



奥能登の千枚田を巡るツアーの案内を見て、参加する事にしました。
以前から行ってみたいと思っていたので、ちょうど良い機会だと思ったためです。
ツアー自体は、奥能登のあちらこちらを巡り、酒蔵やワイナリーにも立ち寄るものです。

奥能登ツアー 主な訪問先
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【 一路 能登へ 】

羽田空港に着くとどんよりとした曇り空。今にも降り出しそうな雲行きです。
飛行機は機種変更があり、座席の変更などがありましたが、定刻通りに出発。

 

低層の雨雲を突き抜けたら、低層雲の上に富士山が顔を出していました。
が、その上には中層雲がべったりと張り付いて、雲にサンドイッチされているようでした。



テイクオフから20分もすると最高高度に達したようで、中層雲を抜け、高層雲の隙間から青空が見えます。

空が青いのは、空気中の微粒子に青や紫の光が散乱されて、あらゆる方向から届くためです。
高高度になると微粒子が減り、青い散乱光(紫も)が減って宇宙の暗さが見えてきます。
写真を撮ると、上の写真のように上空になるにつれ、濃い青に変わって行くのがよく分かります。
宇宙船で地球を離れて行くとき、きっと、濃い青からさらに漆黒の世界に変わって行くのでしょう。
そのとき、ガガーリンではないですが、漆黒の闇に浮かぶ青い地球に感動するのでしょうか。
私が生きている間には、宇宙旅行が出来るようになるとは思えないので、ちょっと残念です。

ひまわり9号の初画像が2017/1/24に発表され、それを見て思った次第です。

 

最高高度に達したと思ったら、直ぐに降下が始まりました。
低層雲を抜けると眼下には日本海が見え、遠くに立山連峰がうっすらと見えています。
そうこうしている内に、さらに高度が下がり、フラップが下がって着陸態勢です。
左手に七尾北湾に浮かぶ能登島が見えてきました。
と思う間もなく、のと里山空港に直陸です。スポイラーを立て、エンジンの逆噴射で急減速。
羽田を発ち、1時間もしないうちにのと里山空港に到着です。

【 松波酒造さんにて 】

空港でバスに乗り換え、最初の目的地である酒蔵(松波酒造さん)に向かいました。

 

松波酒造さんは、明治元年より能登半島の先端、能登町松波で能登杜氏による酒造りを続けている酒蔵です。
  代表銘柄の「大江山」は、「酒呑童子のごとく豪快に酒を酌み交わして欲しい」と付けられた名前とか。
  現在も、145年前から続く昔ながらの道具を大切に使って、手作りの極寒仕込をしているそうです。

 

若女将が、日本酒の製造工程をいろいろと説明してくれます。
私は、別の所で、製造工程は一通り見たことがあるので、説明内容は良く分かりました。
今も昔からの道具を使い続けており、ここで初めてお酒を搾る「槽(ふね)」を見ました。

【 見附島(みつけじま)にて 】

次に訪れたのが見附島です。その形から「軍艦島」とも呼ばれる高さ28mの奇岩です。
島の名前ですが、弘法大師が佐渡から能登へと渡る際、最初に目についた島というのが由来とか。
周囲400m(長さ160m、幅50m)で、岸から200mほど沖合にあります。
この見附島、島全体が第3期珪藻泥岩で出来ており、陽光を浴びると金色に輝くとのこと。
珪藻泥岩は強い岩ではないので、波や風雨の浸食で徐々に小さくなっているとのこと。
資料によると、この80年で2割前後、小さくなっているそうで、
その崩れた珪藻泥岩で、島まで踏み石が作られているそうです。

 

私には、軍艦と言うより、ぼさぼさ髪のとぼけた顔にしか見えないのですが、いかがでしょう。
この日は、あいにくの天気で、淡黄褐色の岩肌が輝くことはありませんでした。

 

その見附島の向かって左側に小さな島(岩礁?)があります。
同じ珪藻泥岩で出来ているようで、これが見附島の将来の姿かもしれませんね。
見附島の上には多くの樹木が生い茂り、野鳥の楽園になっているそうです。
小島の上にも、ウミウが6羽(4羽にしか見えないかもしれませんが)、羽を休めていました。
ガイドさんの話では、見附島の調査をしようとしたが、許可が下りなかったとのこと。
その後、やはり調査が必要とのことで、近いうちに許可が下りる見込みになったとか。

 

見附島は、向かって左方に小島を携え、さらにその左に鳥居が配置されています。
頂上に祠社を置き海上に鳥居を配置してあるのは、地元漁業関係者には神聖視されていた証です。
右は、見附島のアップの写真ですが、中央をほぼ水平に地層が横切っています。
この1km程先にも同じような地層があり、この一帯の土地の隆起が穏やかであったことを示しています。

【 須須(すす)神社にて 】

次に訪れたのは、須須神社です。すすと濁らないのが正式な読み方とのこと。
第10代崇神天皇の時代に、日本国の北方を堅守する「東北鬼門日本海の守護神」として創建され、
慶長19年に前田利家公が再興したのが須須神社です。
高座宮(たかくらぐう)とすぐそばにある金分宮(きんぶんぐう)と合わせて須須神社と呼び、
山伏山山頂には、奥宮があります。
宝物殿には、鎌倉時代の木造男神象(重要文化財)や古文書「能登国司庁宣」(石川県有形文化財)、
源義経が奉納したという「蝉折の笛」、「弁慶の守刀」があり、予約すれば拝観できる。

 

参道鳥居の前には、子供を抱いた狛犬がお出迎え。子持ちの狛犬は珍しいそうです。
普通に撮影すると明暗差があり過ぎてうまく撮れませんので、フラッシュを使っています。
鳥居の奥の参道は、うっそうと茂った木々で覆われ、その中を進みます。
この境内の原生林は国の天然記念物に指定されていて、樹齢が500年を超えるものもあるそうです。
参道をしばらく進むと、石段の上に須須神社(高座宮)の拝殿が見えてきました。

 

階段を上がると、参道が続き、その先の石段を上がると拝殿です。
拝殿を横に回ると、裏手に本殿を見ることができます。

   

拝観が終わっての戻り道です。明るく写って這いますが、実際は、かなりうす暗いです。
内側から見た参道鳥居ですが、暗過ぎるのでフラッシュを使っています。
右端は、内側から狛犬を撮っていますが、このアングルだと普通に撮影できました。
前脚の間から顔を出している子供が良く分かると思います。

 

境内に入って左手には、寺家(じけ)キリコの収納庫があり、予約すれば内部の見学も可能とのこと。
今回は見学はなしで、看板の説明のみ。日本最大のキリコで、高さ16.5mで4tもあるそうです。



キリコの収納庫辺りから日本海側を見ると、境内入口となる鳥居が2つ建っており、
そのすぐ外は日本海になっています。

【 禄剛埼(ろっこうざき)灯台にて 】

次に向かったのは禄剛埼(ろっこうざき)灯台。雨の中、急な坂道を登ると灯台が見えてきました。
能登半島の最北端に位置し、ちょうど外浦と内浦との境に建てられた、現役の灯台です。
この岬は「海から昇る朝日と、海に沈む夕陽」が同じ場所で見られ、海からの視認性も良い立地です。
一般の灯台と比べると、背が低いです。立地が高台(46m)の上なので、高くする必要がないためとのこと。
明治16年(1883年)にイギリス人技師によって設計され、Aランクの保存灯台に指定されています。
一般の灯台では、レンズを回転させて点滅させるが、この灯台は遮蔽板の回転で点滅させているそうです。

 

灯台は岬の先の方にあり、天気が良ければ、青空に白亜の灯台が良く映えることでしょう。
あいにくの雨で、見栄えのしない写真になってしまいました。

【 奥能登塩田村にて 】

禄剛埼灯台を後にして、垂水の滝に向かう途中、奥能登塩田村に立ち寄りました。
昔ながらの揚げ浜式製塩法で作る塩が、味が良いと評判とのこと。
人力で海水をくみ上げ、塩田に撒いて天日で濃縮し、煮詰めて塩を結晶化する手法です。
濃縮した海水で煮たジャガイモが試食でき、程好い塩味でした。

※ 出身地の瀬戸内地方でも子供の頃には製塩が盛んで、「流下式塩田」があちこちにありました。
「揚浜式」と「入浜式」製塩法の後に確立された製塩法で、その後は「イオン交換膜法」に変わっています。



この時期は製塩作業は行われておらず、塩田への海水の散布の実演がある程度でした。
この作業は、潮撒きと呼ばれ、海水を均等に撒くのは難しく、それなりに経験がいるそうです。
広い塩田の奥に見えている建屋が窯屋で、塩田を使って濃縮した海水を、窯で煮詰める所です。
今年は天候が今一で、生産量が少なく、現地での販売のみになっていました。

【 垂水の滝にて 】

垂水の滝は、落差35mほどで、直接海に注ぐ珍しい滝です。
冬の強風が吹くときには、滝の水が上空に吹き揚げられるので、「吹き上げの滝」の別名があるそうです。
この日、あまり風は吹いていませんでしたので、滝の落下地点まで行くことができました。
多段の滝ですが、滝壺の類はなく、流れ落ちる先は海岸の岩礁です。



駐車場から見た垂水の滝です。細い滝が山肌から海岸に流れ落ちています。
なお、滝の横に見えるのは「八世乃洞門」で、能登半島地震(2007年3月25日)の崩落で廃道になっています。
現在は、「八世乃洞門新トンネル」が2009年に開通しています。

 

近づくと滝口から何段かになって海岸近くに落ちているのが分かります。
右は、滝の落下地点の近くから撮ったもので、この後右の方に流れ落ちて、岩礁に吸い込まれて行きます。

1日目の旅程はこれで終わり、宿に直行です。



2日目、いよいよ白米の千枚田に行きます。楽しみ。

【 白米(しろよね)の千枚田にて 】

白米の千枚田は、高洲山の斜面1.2haに1,004枚の大小さまざまな棚田が並んでいます。
国指定文化財名勝に指定され、日本初の世界農業遺産に認定されています。



内海側にある宿から日本海側に抜けると、ご覧通りの荒れた日本海が目に飛び込んできました。
雨は上がりましたが、すっきりとは晴れない空と荒れた海は、冬の日本海のイメージです。



そうこうしている内に白米の千枚田に到着。
山間の棚田はあちこちにありますが、海に面した棚田は少なく、ここがその1つです。
時期的には、秋の刈り入れが終わり、雪の降り出す前なので、ちょっとさびしい風景です。
畔には、ライトが点々と設置されているので、日が暮れるとライトアップされるのでしょう。
改めて、四季折々の写真を撮ってみたいと思いを新たにしました。

 

左の写真で、右手にある松の枝が、右の方に大きくなびくように伸びています。
海からの強風で、枝が海側に伸びることができず、山側に伸びた結果と思われます。
また、棚田の下部の方ですが、海岸線ギリギリまで棚田が続いています。
ここでは、海水の飛沫が風にあおられてに舞うと思われるのですが、塩害はないのでしょうか。

【 輪島の漆器 】

千枚田を後にして、輪島の漆器店へ。そこで輪島塗りの工程の説明を受けました。
輪島塗りの特徴は、焼いた珪藻土を漆に混ぜて下地に塗ることで強度を上げることだそうです。
この下地の塗りと研ぎを数度、中塗りと研ぎ、上塗りと研ぎを行い、最後に加飾を行います。
漆塗りの加飾技法には、「沈金(ちんきん)」と「蒔絵(まきえ)」があります。
このどちらかの装飾を施して、輪島塗りの漆器は完成します。
簡単に書きましたが、木地の製造から加飾が終わるまでには、数年を要する場合もあるそうです。

 

左の写真は、地漆を塗っている所です。右の写真は、研ぎの作業を行っている所です。
研ぎは漆の重ね塗りをする際、強度を増すために必須で、重箱などは女性の手作業になるそうです。

 

漆塗りの加飾技法には、「沈金(ちんきん)」と「蒔絵(まきえ)」があります。
左の写真は、沈金の彫りを行っている所です。漆を入れ、金銀粉などを埋め込みます。
右の写真は、沈金の加飾を行って出来上がった衝立です。金額は聞かない方が良いです(笑)。

 

作品の大きさは様々ですので、リーズナブルな価格のものもあります。
私は、右側の10p角程の作品を、思い切って購入しました。そう、思い切ってです。

【 輪島の朝市にて 】

漆器店から輪島の朝市に移動です。バスの駐車場からは少し離れています。
朝市の通りに着くと、大勢のお客さんでにぎわっていました。
野菜から魚介類、工芸・民芸品、衣料雑貨まで、いろいろなものが売られています。
朝市は、午前8時から正午まで開かれており、売り子は女性が主です。

 

朝市の通りには、多くの店が並んで、威勢の良い「買うてくだぁー」の声が響いていました。
その多くの店の前に人だかりができ、売り子と買い手が値段の交渉をしていました。
通りの酒屋さんでお土産を物色中、突然、店に土屋太鳳さんが入ってきました。
店の女将さんとは顔見知りのようで、挨拶をして、甘酒を飲んで行かれました。
この通りの外れにあったお店に入り、牛肉の能登丼(右の写真)をいただきました。
能登牛かと思っていたのですが、普通の牛肉でした。能登牛ではこの何倍かの値段になるとか。

 

朝市通りを出て、少し離れると人出はまばらとなり、静かなります。
朝市通りを真っ直ぐに進むと、正面に重蔵(じゅうぞう)神社が見えてきます。
見えているのは正面ではなく、神社の側面です。正面には鳥居があり、社殿前には要石が置かれているそうです。
天之冬衣命 大国主命を御祭神とする神社で、天平勝宝八年(756)五月、泰澄により建立されたとのこと。
神社には入らず、左に折れると輪島工房長屋があります。
木地から漆器までいろいろな工房があり、沈金や蒔絵の体験もできるようです。
残念ながら時間がないので、これらはパスして、元の駐車場まで戻りました。
ちょうど、正午になったので、朝市のお店もどんどん店じまいしている所でした。

【 のと鉄道七尾線にて 】

輪島の朝市を後にして、のと鉄道七尾線に乗車するために穴水駅に向かいました。
七尾線は、石川県七尾市の七尾駅と石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅を結ぶ、のと鉄道の鉄道路線です。
路線総延長は33.1kmで、その間に8駅があります。
線路等はJR西日本が所有し、運営のみのと鉄道が行っています。

 

左は、七尾線で使用される気動車NT200形です。後に、この車両に乗車する事になります。
右は、この辺りを舞台にした漫画「花咲くいろは」のラッピング車(NT201)です。

 

左は、のと恋路号(NT800形)で、急行として運用されていましたが、2005年4月1日付で廃車となっています。
富士重工業で2両新製されたパノラマ気動車で、2010年10月以降、穴水駅0番線に保存されています。
右は、能登中島駅に留置されている郵便客車「オユ10」です。
昭和32年〜46年の14年間に渡って、合計72両が製造されましたが、現在する2両の内の1車両です。
北海道から九州までの全国各地を、郵便物を車内で仕訳しながら活躍していましたが、
昭和61年に鉄道郵便が廃止になるとともに、全車が引退し、国内では2両のみ保存されています。

   

穴水は、遠藤関の地元ということで、遠藤関がお姫様だっこした顔出し看板が構内にありました。
車両基地に置かれていた普通列車が、やっと入線です。
そして、いよいよ発車の時刻となりました。ワンマン運転です。

   

途中、車窓から左の写真のような物がいくつか見られました。
ぼら待ちやぐらで、江戸時代から続けられていたそうですが、1996年に廃止になったとか。
今は、観光用にモニュメントとして残されているのだそうです。
のと七尾線は、大半を海岸線に沿って走っていますが、民家と樹林の間を通ります。
単線運転なので、すれ違うために能登中島駅で、対向車両が待っていました。
対向車両の右側に見えているのが、郵便客車「オユ10」です。

【 能登ワインにて 】

さて、能登中島駅でバスに乗り換え、最後の訪問地である能登ワインのワイナリーに向かいます。
能登ワインは、能登の風土で育てたブドウを搾ってワインを造っている会社です。
ワイナリーの近くにもブドウ畑はありますが、多くは、数キロ離れた契約農家が作っているそうです。
ワイン用のブドウは、生食用のブドウの平棚作りとは異なり、垣根作りで育てられています。

 

能登中島駅でバスに乗り換えて戻る途中、七尾北湾から能登島や大口瀬戸が望めました。
右の七尾市中島地区と左の能登島地区を結ぶ、中能登農道橋(なかのとのうどうきょう)が見えています。
長さ620mの斜張橋で、1999年(平成11年)3月27日の開通だそうです。

 

その能登島の左に広がるのが大口瀬戸で、良く見ると蜃気楼が出ているようです。
右の写真はその拡大で、手前の半島に対して、後の半島が宙に浮いています。

 


最後の訪問地である能登ワインのワイナリーに着きました。
案内看板を曲がるとブドウ畑が目に飛び込んできました。
果樹としてのぶどうは平棚に作りますが、ワイン用は垣根のように縦に作られます。
駐車場に着くと能登ワインの看板が出迎えてくれました。
ワイナリーの入り口近くから見たブドウ畑です。日本らしくない景観ですね。
ブドウの種類によって、葉が赤く色づいていたり、まだ、緑だったりと、カラフルです。
なお、ここのブドウ畑は極一部で、数キロ離れた所にこの何倍ものブドウ畑があるそうです。

 

ワインの製造工程を一通り見学しました。左は除梗(じょこう)・破砕圧搾機だと思われます。
ブドウの房から梗(実の付いている枝)を除去し、実だけが後のドラムに運ばれて、絞られます。
絞られた果汁は、タンクに移されて発酵し、ワインになります。
一部のワインは、樽(輸入しているそうです)に移されて、熟成されます。右がその熟成樽です。
見学後、いろいろ試飲して好みにあうシャルドネの白ワインを購入しました。

【 羽田に向かって 】

ワイナリーを後にして、ほろ酔い気分で空港に到着。出発する頃には日が暮れてしまいました。

 

滑走路に向かって移動中、ちょうど山並みに太陽が沈む直前でした。
上空に上がり、しばらくすると右手に山が見えました。左は槍・穂高連峰、右は立山連峰と思われます。

 

山が見えなくなり、最高高度に達した頃には、また太陽が顔を出し、雲海を朱に染め上げていました。
降下を初め、太陽が見えなくなった頃、ずんぐりとした山体が見えました。たぶん、浅間山と思います。



さらに高度を下げ、旋回した時に視界に緑色の観覧車が見えました。
木更津かんらんしゃパーク キサラピアの観覧車で、その先にアクアラインが真っ直ぐに伸びていました。
間もなく、羽田に着陸です。エンジン音が変わり、どんどん高度が下がって行きます。
ドンと衝撃があり、エンジンの逆噴射が始まって、急激に減速して行きました。

羽田空港に降り、帰りのリムジンバスを探していると、またまた、土屋太鳳さんに遭遇。
同じ便で羽田に戻ってこられたようです。
能登で会えなかったのを残念がっておられた方に、教えてあげたら感激していました。
そんなこんなで、最後まで、気分の良い旅になりました。













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