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偕楽園 (2017/3/5)



偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつです。
水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって、1842年(天保13年)に造園されました。
偕楽園には、約百品種・三千本の梅が植えられており、梅の名所として知られています。
しかし、春の桜、初夏のキリシマツツジ、秋の紅葉など、見所は多々あります。

今回は、水戸駅から歩いた関係で東門から入りましたが、本来は反対側にある表門から入るべきなのでしょう。
ただ、東門から入るとすぐに梅林が広がっているので、梅の頃は東門の方が便利かもしれません。

インデックス


千波湖

千波湖と桜川は水戸城の南側の外堀の役目を果たしていました。
現在の面積は約332,000uで、昭和の埋め立てで狭くなっています。
湖の周回は3,000mで、ジョギングや散歩のコースとして親しまれています。
なお、千波湖は平均水深が1m程度のため分類上は「沼」で、法律上、河川(桜川の一部)になります。
この千波湖や桜川には、多くの水鳥がやって来ています。

 

手前が桜川で、その奥に見えているのが千波湖です。
その桜川のほとりを歩いて、水戸駅から偕楽園に向かいました。

< 桜川/千波湖で見かけた野鳥 >

     
  <ヒドリガモ>      <マガモ>       <オナガガモ>    <カンムリカイツブリ>

     
<コブハクチョウ>    <コクチョウ>      <オオバン>       <シロアヒル>

桜川のほとりを歩いていて見かけた野鳥たちです。
上段の鳥は、冬鳥として北方から越冬のために飛来しているので、春には北に帰ります。
下段のコブハクチョウとコクチョウは本来分布していないもので、移入され、定着しているものと思われます。
オオバンは、おそらくここに定着して繁殖しているのではないかと思われます。
シロアヒルは、本来は家禽のはずですが、逃げ出して繁殖しているものもあるとか。
奥に見えているのはマガモのメスと思われ、番になっているようです。
シロアヒルも分類学上は、マガモ(を家禽化)なので不思議はないですが、違和感はありますね。

※ この桜川/千波湖で見られた野鳥の詳細についてはこちらをご覧ください。

漫遊バス

水戸の梅まつりの期間中、土日、祝日のみ運行されているのが無料の漫遊バス。
昔懐かしのボンネットバスで、赤い格さん号と白い助さん号の2台が運航されています。
ルートは偕楽園、弘道館、徳川ミュージアムなどを周遊するものです。

 

どちらも偕楽園に向かっているところに出くわしました。
ところで、赤い格さん号ですが、最近、TVの朝ドラ「ひよっこ」で見たことはないですか。
確認はとれていませんが、このデザインや色合いはそっくりなので、同じ車両だと思われます。


今回は、桜側のほとりから田鶴鳴(たづなき)梅林を横目に見ながら渡線橋を渡り、東門から入りました。
偕楽園には豊富な梅の品種が植えられており、多くが年数の経った老木です。
多くの品種の中で、特に花形、香り、色が優れている品種として選ばれた六品種が、六名木です。
六名木には、下記の六品種が選ばれ、六角形の竹垣が囲まれています。
白難波(しろなにわ)、虎の尾(とらのお)、柳川枝垂(やながわしだれ)
烈公梅(れっこうばい)、江南所無(こうなんしょむ)、月影(つきかげ)
六名木以外にも、保護されている老木があり、それらは四角形の竹垣で囲まれています。



紅梅や白梅など、いろいろな種類の梅の樹が植えられています。

 

場所によっては、白梅のみが目立つところもありますが、それもまた良いものです。

   
 <一般的な老木>        <保護された老木>        <六名木[江南所無]>


<保護された老木[無類絞り]>

偕楽園には豊富な梅の品種が植えられており、多くが年数の経った老木です。
多くの品種の中で、特に花形、香り、色が優れている品種として選ばれた六品種が、六名木です。
六名木には、下記の六品種が選ばれ、六角形の竹垣が囲まれています。
白難波(しろなにわ)、虎の尾(とらのお)、柳川枝垂(やながわしだれ)
烈公梅(れっこうばい)、江南所無(こうなんしょむ)、月影(つきかげ)
六名木以外にも、保護されている老木があり、それらは四角形の竹垣で囲まれています。

< 気になった梅の種類 >

   
<佐橋紅(さばしこう)>   <見驚(けんきょう)>     <思いのまま>  .

   
     <虎の尾>     <白牡丹(はくぼたん)>  <てっ懸梅(てっけんばい)>

約100種類もある中では、極限られたものでしかありませんが、当日、気になった梅の花です。
1つの枝に色違いの花が咲く「思いのまま」は咲き始めで、あまり花が咲いていなかったのが残念です。
てっ懸梅は、パッと見たとき、咲き終わって花弁が散った後かと思いました。
でも、これが咲いている状態だったんですね。

佐橋紅:緋梅系、紅梅性 枝一杯に咲く緋色の花が一際目立って印象的でした。
見驚:野梅系、野梅性 八重咲きの大輪で直径35o前後、淡紅色がきれいでした。
思いのまま:野梅系、野梅性 八重咲きの中輪で、白、淡紅色、紅色の花を咲き分けます。
虎の尾:野梅系、難波性 早咲きの八重の白花でやや大きめ。六名木の1つです。
白牡丹:豊後系、豊後性 白の八重咲で、直径35o前後の大型の白花が印象的でした。
てっ懸梅:野梅系、野梅性 開花後、直ぐに花弁が落ち、蕊だけが目立つ変わった花です。

偕楽園 竹林/笹の叢

本来のルートは、好文亭表門から入り、一の木戸をくぐって左手に孟宗竹林見ながら進みます。
今回は東門から梅園に入ったので、そのはずれから好文亭表門をくぐって一旦出て、再度入り直しました。
そこから一の木戸をくぐり、竹林に沿って進み、吐玉泉の方を回って、笹の叢の方に進みました。


<好文亭表門>

偕楽園の正門に相当する門で、本来はこの門から入るのが正規のルートです。
この表門は戦災でも焼け残り、造園当時の面影が残っている門です。
茅葺の切妻造りで、松材の角柱と副柱、各々2本で支えられ、両側に黒塗の袖塀が付けられています。


<一の木戸>

薄板を重ねたこけら葺きの風雅で簡素な門で、くぐるとすぐに下りになる珍しい配置の門です。
くぐった左手が孟宗竹林で、右手が大杉の森です。

   
<孟宗(もうそう)竹林>

孟宗竹は、弓の材料として最適なことから、京都の嵯峨より開園の1年後に移植されたそうです。
京都嵐山の竹林同様、手入れされた竹林は清々しい気分にしてくれます。

 
<吐玉泉(とぎょくせん)>           <笹の叢(むら)>     .

竹林の途中から下に降り、吐玉泉の方に上ります。吐玉泉は、大理石である「寒水石」を使った湧水泉です。
流れる水が大理石を溶かし削ってしまうので、この石は昭和62年(1987年)12月に更新された4代目だそうです。
既に30年ほど経っていますので、水の流れ落ちる所はかなり削れてしまっています。
再び、竹林の縁を回って笹の叢の方に進みます。ここにはオカメザサとクマザサの2種類が植えられています。
といっても、オカメザサは笹ではなく竹の仲間で、笹はこのクマザサのみです。
春以降出る若葉は、きれいな緑一色ですが、冬を越すと縁が枯れて両側に隅取りが現れます。
同じように隅取りが現れるものを一派一絡げにクマザサと呼ぶことが多いようですが、
本来のクマザサは、移植されたものを除けば、京都に自生しているもののみを指します。
ちなみに、太平洋側で良く見られるスズタケ(タケと付きますが笹の仲間)にも隅取りが現れます。

好文亭

好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事で、梅の異名を「好文木」といったことによるとのこと。
徳川斉昭公自らが設計した木造二層三階建て本体と平屋建ての奥御殿で構成されています。
戦災で焼失してしまったものを、昭和30年から3年がかりで復元されたものです。
三階の楽寿楼(らくじゅろう)から千波湖や田鶴鳴梅林が良く見えるとのことです。
今回は、時間の都合で好文亭には入りませんでした。


<中門>

好文亭中門は茅葺き屋根の門で、クマザサが生い茂る杉木立の先にあります。
この写真は、中門をくぐった後、芝前門側から撮ったものです。


<芝前門>

ご覧の通り、他の門と比べると極めてシンプルな門で、陰と陽の境目にある門です。
この門をくぐると明るい見晴らし広場があり、右手に好文亭があります。

 
<好文亭(こうぶんてい)>

好文亭の横を通って、見晴らし広場に出る所から見たもので、三階の楽寿楼が良く見えています。
きれいに手入れされた前庭と、遠くに見える千波湖や田鶴鳴梅林を堪能している人々で溢れていました。

見晴らし広場

偕楽園の東南に位置する高台にある展望台で、芝生の広場があり、家族連れなどで賑わっていました。
この見晴らし広場には、左近の桜が植えられており、桜の季節も楽しめるようです。
見晴らし広場の南端に突き出した所に仙奕台(せんえきだい)があり、琴石や石の碁盤、将棋盤があります。
ここからの千波湖や手前の田鶴鳴梅林の眺めも素晴らしいです。



見晴らし広場の芝生に、シートを敷いて花見を楽しんでいる方が多かったです。

 
<田鶴鳴梅林と千波湖>

仙奕台からは、手前に田鶴鳴梅林、奥には千波湖が見えます。

 

この日は梅まつりで、梅大使の面々や水戸黄門御一行があちらこちらに出没するとアナウンスしていました。
好文亭近くを通った時、今年の梅大使の面々が勢ぞろいして、記念写真の依頼に応じていました。
そこから見晴らし広場に移動し、一休みしていると水戸黄門御一行が現れました。
こちらも多くの方が、一緒に記念撮影をして、楽しまれていたようです。

偕楽園を後にして

東門を出て偕楽園を後にし、常盤神社の境内から参道を降りて、偕楽園駅の方に進みます。
電車には乗らず、武家屋敷などがあった道をたどりながら弘道館を目指します。
途中には、旧町名の碑や藤田東湖の産湯の井戸跡、安積澹泊(あさかたんぱく)の屋敷跡などがありました。


<常盤神社 参道の鳥居>

常盤神社の境内から参道を下る途中に、大きな鳥居があります。


   <ヤブツバキ>              <梅>

 
<ヤブツバキの花>

参道を降りた先に偕楽園駅がありますが、素通りして先に進みます。
駅の対面に大きな駐車場があり、その駐車場越しに梅の木とともに、大きなヤブツバキの木が見えました。
この後、道路の法面などにも大きなヤブツバキの木が良く見られました。

     
 <安積澹泊屋敷跡>   <藤田幽谷生誕の地>

 
<藤田東湖産湯の井戸跡>

偕楽園から弘道館へ行く途中、道端で見かけた石碑です。
格さんモデルとされる安積澹泊屋敷跡の屋敷跡の碑や、藤田幽谷生誕の地の碑、
その息子の藤田東湖の産湯の井戸跡など、ところどころに石碑が建てられています。
また、東北地方太平洋沖地震の際に倒壊した石鳥居の根本だけが残っている所もありました。

アップダウンのきつい道でしたが、そうこうしている内に三の丸交差点にたどり着きました。









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