インデックス
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上野公園・東京国立博物館(2005/11/26)
秋も深まり、紅葉も見頃になっているようなので、北斎展のついでに上野公園を散歩することにしました。
上野公園というか、博物館や美術館には何度も出かけているのですが、公園内はほぼ素通りでした。 その素通りしていた公園内を散歩しながら紅葉を楽しんできました。 東京国立博物館
JR上野駅の公園口から道路を渡り、東京文化会館横を通って公園内に入ります。
紅葉した木々を横目に、まずは東京国立博物館へ直行です。 博物館の前には、いつものように長蛇の列が出来ていました。 並ぶこと1時間ちょっと。北斎の肉筆画・版画・版本などをたっぷりと楽しみました。 一回りして外に出たのは午後になってしまいました。 外に出ると、その目の前に黄葉したイチョウとその前に紅葉したトウカエデ(たぶん)が見られました。 バックに表慶館の緑色の屋根が見え、良い色の組み合わせになっています。 東京国立博物館の正門付近にもいろいろと紅葉した木々が見られました。 そんな東京国立博物館の正門付近で、ベンチに腰掛けてくつろいでいる人がいました。 紅葉した木々、落ち葉が積もった地面、ベンチでのんびりとくつろぐ人。 秋だな〜と思った一コマです。 上野公園
東京国立博物館から大噴水、竹の台広場を通って、さくら通りに出ました。
春の桜の季節には、お花見の席取り合戦が見られる場所ですが、今の時期でも人通りは多いです。 桜の紅葉が進んで、ちょうど見頃を迎えていました。 春の桜の季節ほどではないと思いますが、それでも人出は多いです。 そこから東京文化会館と国立西洋美術館の間を通って、通りに出ます。 通りに面したところには、大きなイチョウの木が並んでいて、黄葉が進んでいました。 木によって色付き具合が異なり、黄葉し始めたものから全体が黄葉したものまで様々です。 全体が黄葉すれば見応えがあると思うのですが、そのタイミングがあるかどうか。 |
上野公園・不忍池・旧岩崎邸(2008/11/23)
秋も深まり、都内の紅葉も見頃を過ぎようとしているので、不忍池や旧岩崎邸に出かけることにしました。
上野公園へは何度も出かけているのですが、不忍池の方には行ったことがありません。 旧岩崎邸は、不忍池からそう遠くない場所にあります。 不忍池は、ハスの葉も枯れ、その奥を埋め尽くしているヨシも茶色くなって、冬枯れの風情です。 しかし、周囲に見られる木々には紅葉や黄葉が見られ、秋の色を残していました。 池の中には、キンクロハジロやオナガガモ、オオバンが見られ、冬鳥の渡りも始まっていました。 ぐるりと不忍池を一周して、旧岩崎邸庭園に向かいました。 ジャコビアン様式の装飾が施された外観、金唐紙が貼られた室内は実にゴージャス。 ベランダに出ると芝生の庭が広がり、緑の芝生を周囲の木々の紅葉が彩ります。 隣りには、地下道でつながる撞球室があり、山小屋風の木造ですが、凝った意匠が施されています。 上野公園 さくら通り
JR上野駅の公園口から道路を渡り、東京文化会館横を通って中に入ります。
右手には国立西洋美術館や博物館、さらにその先には東京国立博物館があります。 これらの美術館や博物館では、様々な展示会が開催されますので、度々来たことがあります。 しかし、左手側には行ったことがなかったので、今回、行ってみることにしたのです。 <イチョウの黄葉> <桜の紅葉> . 東京文化会館横には、大きなイチョウの木があり、秋に来るといつも見事な黄葉を見せてくれます。 さくら通りまで進むと、桜の紅葉が逆光に映えて輝いていましたが、前に見た時より赤味が少ないです。 春の桜の季節には、お花見の席取り合戦が見られる場所ですが、今の時期でも人通りは多いです。 <花園稲荷神社の鳥居> さくら通りを左手に進んでいくと、上野大仏があります。地震や火災で残っているのは顔面のみです。 さらに進むと右手に赤い鳥居が見えてきました。花園稲荷神社の鳥居だそうです。 この場所に稲荷神社があるとは知りませんでしたので、ちょっと寄り道。 伏見稲荷の鳥居とは比較になりませんが、それでも赤い鳥居が並ぶ様は目を引きます。 花園稲荷神社は五條天神社の兼務社ですが、五條天神社が移転してくる前からあった神社だそうです。 稲の神様「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」が祭神ですが、縁結びの神社としても有名だそうです。 その境内社に穴稲荷神社(忍岡稲荷神社)があり、花園稲荷神社の元宮とのこと。 なお、赤い奉納鳥居が連なっているのは、花園稲荷神社の裏参道になるそうで、裏から入ったんですね。 上野公園 不忍池(しのばずのいけ)
不忍池、辯天堂は、江戸初期の寛永年間に、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。
寛永寺を創るにあたり、見立て思想によって上野の山を設計したとされます。 延暦年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」に見立て、寛永年間に創建されたのが寛永寺です。 そして、元々あった不忍池を琵琶湖に、元々あった聖天が祀られた小島を竹生島に見立てています。 また、島を大きく造成して竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)に見立てた辯天堂(べんてんどう)を建立したのです。 不忍池は、周囲約2km、約11万m2の広さがあり、提で3つに分かれています。 ハスが繁殖して一面を覆う蓮池、カワウが繁殖している鵜の池、ボートが楽しめるボート池の3つです。 池を3つに分けている提の上は歩くことができる遊歩道となっていて、どこからでも辯天堂に行けます。 なお、鵜の池の上野動物園西園側は動物園の敷地内なので、外からは入れません。 <上野公園 不忍池と辯天堂> 花園稲荷神社から不忍池に出ると、目の前に広がっていたのが蓮池でした。 手前には枯れたハスの葉が広がり、その奥にはヨシ※の穂が風に揺れていました。 その背の高いヨシの穂越しに、青緑色の辯天堂の屋根が見えていました。
<不忍池の周辺部で見られた紅葉> 不忍池の周囲にはいろいろな木々が植えられていますが、その中に紅葉した木々も見られます。 ということで、不忍池の外周を周り、鵜の池の手前で提の遊歩道を通って辯天堂へ向かいます。 辯天堂で一息入れてお参りし、遊歩道で対岸に出て、最初に着いた場所に戻ります。
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旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園は、1896年(明治29年)に三菱第3代社長の岩崎久彌の本邸として建てられました。
往時には、約15,000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたそうです。 現在の敷地は約5,000坪となり、建物も洋館、撞球室、和館の3棟のみとなっています。 洋館は、地下室付きの木造2階建で、英国人ジョサイア・コンドル設計の代表的な西洋木造建築です。 随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施され、同時期の西洋建築にはない繊細なデザインが特徴です。 そして地下道でつながるスイスの山小屋風の木造建築である撞球室も、コンドルの設計です。 洋館とつながる書院造りの和館は、名棟梁大河喜十郎の手によるものと伝わっています。 大名庭園を一部踏襲する庭は、建築様式と同時に和洋併置式とされ、芝庭をもつ近代庭園の初期形式です。 1952年(昭和27年)に国有財産となり、1961年(昭和36年)に洋館と撞球室が重要文化財に、 1969年(昭和44年)に和館大広間と洋館東脇にある袖塀が重要文化財となり、 1999年(平成11年)に煉瓦塀を含めた敷地全体と実測図がそれぞれ重要文化財に指定されました。 旧岩崎邸庭園 洋館
<旧岩崎邸庭園 洋館> 建物の外壁にはジャコビアン様式の装飾が施され、玄関ポーチのペアコラムも洋館を引き立てています。 ほぼ同時刻に撮影したのですが、左側は逆光で影の部分に露出を合わせて撮影したものです。 一方、右側は西日が当っている部分に露出を合わせたので、陰の部分が暗くなって、見た目に近いです。 光りの当たり方で、同じ建物でも雰囲気がずいぶんと変わってしまいます。 洋館の玄関ポーチを正面から撮ったものですが、玄関の上にもステンドグラスが嵌め込まれています。 ペアコラムは1階ベランダと同じトスカナ式で、上部が細くなっていて、下部には模様が施されています。 洋館の庭に面する南面と東面の写真です。正面とは異なる趣があります。 南面のベランダには、両端にペアコラムを配した列柱が、どっしりとした印象を与えるコロニアル様式です。 東面にはサンルームが増築されており、ジャコビアン様式の装飾が施された2階とは雰囲気が異なります。 洋館の内部の様子です。上段は、玄関ホールから続く階段正面の窓と階段上の手すりです。 窓も単なる板ガラスではなく、細かい幾何学模様のステンドグラスとなっています。 手すりにはジャコビアン様式の凝った装飾が施されています。 室内の壁には、豪華な金唐紙(きんからかみ)の壁紙が張られ、とてもゴージャスです。 金唐紙は、和紙に金属箔を貼り、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色を施した高級な壁紙です。 それを部屋ごとに異なるものを使用してあります。その作り方も展示されていました。 2階の客室ですが、暖炉や衝立は言うに及ばず、テーブルや椅子などにも凝った意匠が見られます。 壁にも金唐紙の壁紙が張られ、こんな所に長時間いたら気疲れしてしまいそうなゴージャスさです。 これらは、室内に置かれていた衝立ですが、いずれも豪華なものでした。 <1階ベランダ> <2階ベランダ> <1階ベランダ 床のヴィクトリアン・タイル> 1階と2階のベランダです。天井や電燈は建設当初のものが残っているそうです。 列柱のデザインは、1階はトスカナ式、2階はイオニア式と異なるデザインになっています。 また、床面は、2階は板張りですが、1階は建設当時からのヴィクトリアン・タイル張りとなっています。 旧岩崎邸庭園 和館
これらは、洋館と結合された和館の写真です。手水や石燈籠、鎖樋などが配置された純和風です。 建物は書院造りを基調とした純和風建築となっており、和館近くの庭は、日本庭園となっています。 岩崎家の人々の居住エリアあったそうで、完成当時は550坪と洋館より広かったそうです。 旧岩崎邸庭園 撞球室
<撞球室(どうきゅうしつ)> 洋館と地下道でつながっているスイスの山小屋風の木造建築である撞球室(ビリヤード場)です。 杉の丸太を組み合わせた木造建築で、アメリカの木造ゴシックの流れを組むデザインとなっています。 校倉造り風の壁や、大きな庇を支える柱には彫刻が施されるなど、凝った造りです。 旧岩崎邸庭園 芝庭
<1階ベランダより> <2階ベランダより> 1階と2階のベランダから見た芝庭です。周囲の木々が紅葉し、なかなかカラフルです。 1階からは、背の高い木々がビルなどを隠してしまうので、都内にいることを忘れさせてくれます。 |