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牛島の藤と川越(2006/05/04)



ゴールデンウィークは、どこに行っても混むので、自宅でゆっくり過ごすことにしています。
ところが、新聞に牛島の藤が見頃を迎えたと紹介されているのを見て、出かけることになりました。


<牛島の藤>

込むことを考慮して早めに出発したのですが、渋滞などもあって、着いたのは10時を過ぎていました。
なんとか近くの駐車場に止めることができましたので、藤花園まで5分ほど歩きです。
門を入り、入場手続きをすると、すぐそこに藤棚が見えました。樹齢1200年余りの古木です。
根周りは10uで、3株並んでいて、藤棚の広さは全体で700uあります。
1928年(昭和3年)1月に文部省より天然記念物に指定されていましたが、
1955年(昭和30年)8月22日、文化財保護法に基づき、特別天然記念保存木に指定されました。
という古木は、たくさんの花序を付けていて、その花序が垂れ下がる様子は一見の価値はあります。

存分に藤の花を観賞したので藤花園を後にし、帰りに川越に寄って行くことにしました。
川越の街中を車で通る事はあったのですが、歩いたことはないので行ってみることにしたものです。
ここからは1時間程のドライブです。近くの駐車場に車を止めて、古い町並みが残る通りへ向かいます。
蔵造りの町並みを見ながら、時の鐘や菓子屋横丁を散策し、和菓子などのお店を梯子です。
菓子屋横丁では、昔懐かしの駄菓子なども売られていて、思わず買ってしまいました。

と、時間も忘れて歩き回っていて、気が付けば帰らなければならない時間になっていました。
まだまだ、行きたい所は多々ありましたが、今日の所は諦めて帰途に就きました。


インデックス


牛島の藤

牛島は、利根川の旧流路の名残りである大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)の左岸に位置しています。
大落古利根川は利根川水系中川の支流で、江戸時代以前は利根川本流がこの河道を流れていました。
藤花園は、標高が6mほどの氾濫原の牛島にあり、元真言宗連花院の境内であったとのこと。
明治7年に廃寺となり、それ以来、所有者は何度か変わって、現在に至っているそうです。

解説によると、この藤はヤマフジ似ているが、蔓は右巻きであるとこと。
藤には、ヤマフジ(ノフジ)とノダフジ(フジ)があり、ヤマフジは左巻きで、ノダフジは右巻きになります。
ヤマフジに似ているとのことですが、右巻きであればノダフジ系の品種ということになります。
また、花序の長さに関しては、ヤマフジは短く、ノダフジは長く垂れさがります。
ノダフジの品種の中には、六尺藤とか九尺藤といった花序が1.5〜2mになるものがあるそうです。
おそらく、この系統の品種ではないかと思いますが、詳細の記載がないので分かりません。
樹齢500年とか800年とかは他にもありますが、1200年というのは牛島の藤だけだと思います。
主幹と思われる幹回りは3.9m、根本は4〜9mで、藤棚の総面積は700uもあるそうです。



 

訪問した時は、まだ、十分に花序が伸びきっていないようでしたが、それでも1mほどあります。
3株ある内の1つが、下段右の写真です。根本で複数に分かれて、とぐろを巻くように立ち上がっています。

 
                     <参考>
フジの花をアップで撮ったものですが、この時期、クマバチがよく訪花しています。
左の写真で中央右寄りの花の後に黒と黄色がつながって見えているのがクマバチです。
右の写真は別の場所で撮影したものを参考のために掲載しましたが、こんな感じで飛び回っています。
ブーンとかなり大きな羽音を出して飛び回るので、よく知らないと恐怖を感じると思います。
ただ、クマバチはスズメバチと違って手を出さない限り、刺したりはしません。
じっとして、飛び去るのを待っていれば大丈夫です。怖くて、手で払ったりすると刺されることがあります。
といっても、クマバチのオスは針を持たないので、刺すのはメスのみです。
ちなみに、スズメバチの仲間は、働きバチは全てメスなので、間違いなく刺されます。
スズメバチの中には気性が荒いものもいるので、君子危うきに近寄らず、さっさと逃げることです。

フジ以外にも、いろいろな花が植えられているので、一通り散策しました。
帰りに、もう一度、藤棚に立ち寄り、藤花園を後にしました。

川越

川越市は、埼玉県南西部に位置し、江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市です。
「小江戸(こえど)」の別名を持ち、城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多いです。
戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っていて、国から「歴史都市」に認定されています。
1893年(明治26年)の川越大火で、町全体の三分の一を消失してしまいました。
そして、焼け残った建物が伝統的な蔵造りだったことから、蔵造り建築の店舗が増えていったのです。
川越の蔵造りの特徴は、倉庫ではなく店蔵(みせぐら)であること、
そして「江戸黒(えどぐろ)」と呼ばれる江戸の町並みを模した黒漆喰仕上げの壁です。
迫力ある瓦屋根に施された「箱棟(はこむね)」や「影盛(かげもり)」、密閉性を高める「観音開き扉」の窓、
火災のときに扉の合せ目に用心土を塗りこむための「目塗台(めぬりだい)」が外観上の大きな特徴です。
現在は、重要文化財の大澤家住宅など、23棟の蔵造りの建物が文化財に指定されています。


<重要文化財 大澤家住宅>
左側が大澤家住宅で、隣の住宅の倍くらいある立派な蔵造りの店蔵です。
右隣は、笛木醤油さんの店舗で、観音開き扉や黒漆喰仕上げの壁が良く分かります。
また、屋根の頂部が一般の民家の棟より大きく見えると思いますが、これが大棟を板で囲った箱棟です。
そして、その箱棟の両端に付けられているのが鬼瓦の影盛です。

 
<蔵造りの店舗>                 <菓子屋横丁>
左は蔵造りの店舗を斜めから撮ったものですが、こちらの方が観音開き扉は良く分かりますね。
後の方に、白漆喰壁の建物や時の鐘の塔が見えています。
右の写真は、菓子屋横丁の写真です。2015年6月21日に、火災が発生して11棟が焼けています。
しかし、2017年には完全復活して、以前のような菓子屋横丁に戻っているそうです。

 
<時の鐘>
400年ほど前、当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)によって創建されたといわれる時の鐘です。
城下の頃の面影を残す建造物であり、江戸時代初頭から城下に時を告げてきた鐘つき堂(高さ16m)です。
何度も火災で焼失していますが、その都度、建て替えられて、現在の物は4代目だそうです。
川越大火で焼失した後、自らの店も再建できていない川越商人達の手で、いち早く再建されたそうです。
時代と共に鐘つき守が撞いていたものが機械仕掛けへと変わっても、昔と変わらず1日4回時を告げています。
右の写真では、逆光ですが銅鐘や橦木(しゅもく)がよく見えています。

 
<埼玉りそな銀行川越支店>
蔵造りの町並みの外れにあるのが、この埼玉りそな銀行川越支店です。目を引きますよね。
1918年(大正7年)に完成し、1996年(平成8年)には国の登録有形文化財に登録されました。
元は、1878年(明治11年)に第八十五国立銀行として設立されましたが、川越大火で消失しています。
1898年に第八十五銀行となり、1918年に再建されたのがこの建物です。
現在の銀行名になったのは2003年で、現在も現役の銀行店舗として使用されています。

ゴールデンウィークのこの時期には、小江戸川越春まつりのフィナーレが行われます。
春まつり自体は、3月下旬から5月初旬までの長丁場で、その間、様々なイベントが開催されます。
フィナーレでは、縁日大会、山車展示と居囃子、民踊大会などが行われます。

 
<山車と居囃子>
町の一角に山車が展示され、そこで居囃子が行われていました。
手前に立っている大人の人と比較すると山車の大きさが想像できると思います。
この山車は、連雀町の「道灌の山車」で、二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台です。
人形は、太田道灌(どうかん)が腰に太刀、手には弓を持ち、矢を背負っている姿です。
1952年(昭和27年)に制作された山車で、人形も同時に制作されています。
囃子は堤崎流雀会で、3つの流派(王蔵流、芝金杉流、堤崎流)の1つです。









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