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大嘗宮の一般公開見学(2019/11/28)



日本の天皇が皇位継承に際して行われる宮中祭祀が、「大嘗祭(だいじょうさい)」です。
新天皇が即位した後、新穀を神々に供えて、自身もそれを食するものです。
その意義は、国家、国民の安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、祈念することです。
なお、大嘗祭を執り行うのが大嘗宮で、前回と同じ皇居東御苑に造営されました。
使われた木材は、主に長野県産の唐松皮付丸太、静岡県産の杉皮付丸太、北海道産のヤチダモ皮付丸太だそうです。
大嘗宮は、大嘗祭の祭場となる悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)など30棟余りの殿舎で構成されます。
いずれも平屋で、最も高い殿舎でも高さは9mほど。延べ床面積は2,600uになります。
悠紀殿、主基殿、廻立殿は、皮付丸太を使う黒木造りで、柱には唐松の黒木が使われています。
なお、悠紀殿と主基殿の屋根には、千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)が付いています。

神々に供える神饌(しんせん)の中でも稲は重要視され、稲を収穫する「斎田(さいでん)」選びから始まります。
斎田は2ヶ所あり、各々悠紀・主基と呼ばれます。悠紀は東から、主基は西から選ばれるのが原則です。
今回は、悠紀は下野(栃木県塩谷郡高根沢町大谷下原)、主基は丹波(京都府南丹市八木町氷所新東畑)が選ばれました。
このように悠紀・主基の各地から集められた神饌を、各々悠紀殿・主基殿に供え、執り行われるのが大嘗祭です。

この大嘗宮ですが、大嘗祭の後、取り壊すまでに一般公開されるというので、見に行ってきました。
あいにくの雨模様でしたが、その天気が幸いしてか、人は比較的少なかったです。
表側から見ることしかできませんでしたが、普段目にすることがない皮付きの木材を使った建物です。
建物の様式や見慣れないこともあってか、建物からは厳かな雰囲気が漂ってきます。
周りを2/3ほど周れるので、ゆっくりと写真を撮りながら歩いてきました。
多くの宮大工の方々が、丹精込めて造り上げた大嘗宮ですが、この後解体されてしまうのは残念です。
ただ、木材は無乾燥であったり、組み合わせるための穴や溝などがあり、再利用は難しいそうです。
そのため、解体後の木材は、バイオマス発電の燃料として再利用されるとのこと。


胎内への道中の風景など
インデックス

いざ、大嘗宮へ



大手町駅から歩いて皇居外苑に着きました。雨模様のせいか、人出は少なく、ちょっと拍子抜け。
テレビで映していた人がジグザグと並んでいたところは空っぽで、外周部を人が歩いているだけでした。

 

前の人について、坂下門を通過して、宮内庁庁舎の前を通って、富士見櫓に向かいます。
あいにくの雨でしたが、モミジが奇麗に紅葉していました。

 

富士見櫓の角を曲がりさらに進むと、右手の紅葉した木々の先に百人番所が見えてきました。
その手前を左に曲がると、右手に大番所が見えてきます。位の高い武士が詰めていたそうです。

 

大番所を過ぎて道なりに進んでいくと、本丸の芝生広場越しに大嘗宮が見えてきました。
芝生広場沿いに進んでいくと、右手にトイレと売店がありました。
トイレは、ここを過ぎるとしばらくないとの事。売店で買い物をし、トイレに寄って行きました。
大嘗宮の手前に着いても、人はそれほど多くなく、スムーズに進んでいました。

大嘗宮の正面側

 
  <膳屋(かしわや)>                小忌幄舎(おみあくしゃ)

大嘗宮の手前にあった参列者が着席していた「幄舎(あくしゃ)」は既に撤去されていました。
見学できる最初の建屋は、右手の端にある「膳屋(かしわや)」で、神饌(しんせん)を料理したところです。
こちらの膳屋で調理された神饌は、悠紀殿まで行列を立てて運ばれたそうです。
膳屋の壁には、椎の和恵(しいのわえ)または和恵差(わえさし)と呼ばれるスダジイの小枝が多数付けられています。
小忌幄舎(おみあくしゃ)」は右側の黒っぽい屋根の建屋で、板葺きの切妻屋根で、男子皇族が参列された殿舎です。
平成の大嘗宮より規模が縮小されており、その関係か位置が奥の雨儀御廊下の横に移されています。

 
<風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)> <南神門(みなみしんもん)と衛門幄(えもんあく)>   .

小忌幄舎の左側の無垢の板で葺いた建屋は、「風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)」と長い名前です。
こちらは悠紀地方および国栖の歌を奏する建屋になります。
南神門(みなみしんもん)」は、大嘗宮の東西南北に設けられた鳥居の1つで、黒木造りで造られています。
皮付きの丸太を鳥居に使用しているので、色が黒っぽく、表面がゴツゴツしています。
この南神門の奥に見えているのは、「殿外小忌幄舎(でんがいおみあくしゃ)」で、女子皇族が参列された殿舎です。
なお、大嘗宮は、この南神門を通る線を中心に、ほぼ対称形になるようにレイアウトされています。
この南神門の手前両側に見える小さな建屋は、「衛門幄(えもんあく)」です。
この衛門幄は、縹色(はなだいろ)の装束を着た武官(衛門)が着座した建物です。

 
<庭燎舎(ていりょうしゃ)>               <小忌幄舎(おみあくしゃ)>

庭燎舎(ていりょうしゃ)」は、衛門幄の外側に1対あり、庭火を焚いた建物です。
建物の中心には、地面に埋め込まれた火を焚く円形のものが見えています。
右の写真は、主基殿側の「小忌幄舎(おみあくしゃ)」です。
小忌幄舎の前にある灯籠は、樹皮が付いた木で造られた「黒木灯籠(くろきとうろう)」です。
また、小忌幄舎の奥に見える2つの小さな建物は、西神門の庭燎舎と衛門幄で、その後ろは膳屋です。
小忌幄舎の前に見えているのは「柴垣(しばがき)」で、外周垣の内側にある垣根です。
この柴垣の出入口は神門になり、柴垣にも椎の和恵または和恵差と呼ばれるスダジイの小枝が多数付けられています。

大嘗宮の西面

大嘗宮の西面には、「主基殿の儀」を行う「主基殿(すきでん)」を中心とした殿舎が見られます。
主基殿は、黒木造りの切妻屋根で、屋根には千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)が設置されています。
なお、主基殿の千木は、外削ぎになっています(悠紀殿は内削ぎ)。屋根は、今回、茅葺きから板葺きに変更されています。
殿内には中央に八重畳を重ねて敷き、その上に御衾(おんふすま)がかけられています。
そこに御単(おんひとえ)を奉安し、御櫛、御檜扇を入れた打払筥が置かれます。
その東隣に伊勢神宮の方向を向いて、御座が置かれます。
御座と向かい合って神の食薦(けこも)を敷き、これが事実上の神座となります。


   <主基殿(すきでん)>         <西神門(にししんもん)>   <膳屋(かしわや)>

主基殿側の膳屋の角を曲がると、大嘗宮の西側面になります。
左側が主基殿側の「膳屋(かしわや)」で、ここで調理された神饌は、行列を立てて主基殿まで運ばれました。
その直ぐ左横にあるのが「西神門」で、その奥には「小忌幄舎(おみあくしゃ)」の側面が見えています。
西神門の左側に並んでいるのは、「衛門幄(えもんあく)」と「庭燎舎(ていりょうしゃ)」です。
その左側にあるのは「楽舎(がくしゃ)」で、楽師が奏楽(そうがく)を行った殿舎です。
その後ろで、屋根に千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)が設置されているのが「主基殿(すきでん)」です。
左端に見えているのは、新穀を保管した「斎庫(さいこ)」の後ろ側の壁です。

 
<廻立殿(かいりゅうでん)>             <主基殿(すきでん)>   <斎庫(さいこ)>   .

左端に見えているのが「廻立殿(かいりゅうでん)」の側面です。
その右側、少し離れた所に「庭燎舎」の屋根とその奥に「雨儀御廊下(うぎおろうか)」が見えます。
その雨儀御廊下を分断するように黒っぽい「北神門」が見えています。
その右側で屋根に千木と勝男木が設置されているのが「主基殿」で、その奥に「悠紀殿」も見えています。
右端に見えているのが「斎庫(さいこ)」で、右側の写真は全体が見えるように撮ったものです。

 
<主基殿(すきでん)>

主基殿がもう少し良く見えるアングルからアップで撮ったものです。
板葺きの屋根が雨に濡れて、しっとりとした色合いを見せていました。
その屋根には千木と勝男木が設置され、千木を部分拡大したもの左上に入れてあります。
千木の下端が水平に、上端が垂直に切り落とされた外削ぎが、主基殿の形式になります。
また、屋根の下方には黒木灯籠(くろきとうろう)が見えています。

大嘗宮の北面、東面

大嘗宮の北面中央には、「廻立殿(かいりゅうでん)」があります。
大嘗宮の儀に先立ち、天皇が沐浴を行なわれ、天皇皇后両陛下がお召替えなどを行われる殿舎です。
殿内は三間に仕切られており、中央の部分が御所、西の部分が御湯殿、東の部分は皇后が斎服を着用される所です。
廻立殿は黒木造りで、床は竹簀(たけす)と蓆(むしろ)、切妻屋根で、今回、茅葺きから板葺きに変更されています。

 
<廻立殿>     <主基殿>     <斎庫>        <廻立殿(かいりゅうでん)>      .

大嘗宮の北面側に回ると、廻立殿、主基殿、斎庫、各々の位置関係が良く分かります。
廻立殿の真裏に回ると、かなり大きな殿舎だと分かりました。
屋根に千木と勝男木がない点を除けば、外観は主基殿や悠紀殿とほとんど同じです。
右の写真は廻立殿の裏側ですが、この反対側に雨儀御廊下が伸び、北神門へと続いています。

 
    <廻立殿(かいりゅうでん)>     <悠紀殿(ゆきでん)>  <廻立殿(かいりゅうでん)>

大嘗宮の東側には植え込みがあって、途中で行き止まりになっていました。
植え込みではツワブキが黄色い花をたくさん付けおり、そのツワブキ越しに、廻立殿の東側が見えていました。
木立が多いので良く見える場所が限られ、悠紀殿と廻立殿の両方が見える所で撮ったのが右の写真です。

 
<悠紀殿(ゆきでん)>                <主基殿(すきでん)>

左の写真は、行き止まり近くから撮った「悠紀殿」で、千木の部分を拡大したものを右上に入れてあります。
千木の下端が垂直に、上端が水平に切り落とされた内削ぎが、悠紀殿の形式になります。
右の写真は、前出の「主基殿」の写真で、比較のために再掲載しています。

ここで、大嘗宮の見学は終わりです。人がどんどん増えてきていたので、大嘗宮を後にしました。

二の丸庭園から大手門へ

大嘗宮を後にし、変わった形の「桃華楽堂」横を通って、分岐路まで来ました。
左手の乾門から出ることもできますが、ついでなので二の丸庭園に寄って行くことにしました。
平川門への分岐を右手に進み、二の丸庭園に入りましたが、あいにく紅葉は始まったばかりでした。
庭園の池には、天皇陛下の提言でインドネシア原産のヒレナガゴイとの交配で作出された鯉が泳いでいました。
当時の埼玉県水産試験場で錦鯉との交配で作出されたヒレナガニシキゴイで、鰭が長いので優美に見えます。
庭園を一回りして、三の丸尚蔵館に立ち寄り、大手門から出て帰宅しました。

 

左は、平川門への分岐を二の丸公園に向かう所の石垣で、隙間なくキッチリと積まれた切込接ぎです。
右は、白鳥濠に沿った石垣ですが、こちらは隙間が多々見受けられる打込接ぎの石垣のようです。

 

二の丸庭園を散策しましたが、紅葉は始まったばかりのようで、一部が紅葉しているだけでした。
左の写真で、奥に見えるのは「諏訪の茶屋」で、明治45年に再建され、昭和43年に皇居東御苑に移築されました。
右の写真は、二の丸庭園の池で、天気が良ければ紅葉が水面に映えて、見応えがありそうです。

 

二の丸庭園の池には鯉が泳いでいるのですが、天皇陛下の提言で作出されたヒレナガニシキゴイです。
長いひれを揺らめかせながら泳ぐ姿は、なんとも優美です。
右は、二の丸庭園の出口にあった「皇居正門石橋 旧飾電燈」で、ずいぶんと凝った造りになっていました。

この後、三の丸尚蔵館に立ち寄りましたが、撮影禁止だったので写真はありません。

 

大手門から出るために門の方へ行ったのですが、門の手前で人が滞留していて進めません。
その時、目に止まったのが左の写真の鯱で、戦災で消失した旧大手門渡櫓に使われていたものだそうです。
後で分かったのですが、門から歩道までが狭く、歩道を渡る人数を制限しているので滞留してしまったようです。
おかげで、大手門を通って外に出るまでには、小一時はかかってしまいました。
右の写真は、大手門を出た所にある桔梗濠ですが、コブハクチョウが1羽、優雅に泳いでいました。


姫路城の鯱

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2015/7/20
城見台公園に設置されている姫路城大天守の鯱のレプリカです。
旧大手門渡櫓の鯱は青銅製のようですが、この鯱は瓦で造られています。
姫路の光洋製瓦株式会社が製作したもので、同じものが姫路城大天守の上に乗っています。
鯱1尾の大きさは、高さが190cmあり、重さも250Kgと重量級です。
後に写っている姫路城大天守の屋根の両端が跳ね上がっていますが、それがこの鯱です。










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