浅草寺(せんそうじ)
浅草寺は、台東区浅草2丁目にある、東京都内最古のお寺です。
山号は金龍山で、本尊は聖観世音菩薩。開基は土師中知(はじのなかとも)と伝えれています。 伝承によれば、628年(推古天皇36年)に、宮戸川(現 墨田川)で漁をしていた網に仏像がかかった。 これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像で、その像を拝した土師中知が出家し、 自宅を寺に改めて供養したのが、浅草寺の始まりとされています。 その後、645年(大化元年)に、勝海上人が寺を整備し、観音の夢告により秘仏となりました。 その後、平安時代初期に延暦寺の僧 円仁が来寺して、「お前立ち」の観音像を造ったとされる。 このため、浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称しています。 なお、元は天台宗でしたが、1950年(昭和25年)に独立し、聖観音宗の本山となっています。 <雷神像> <風神像> 浅草寺といえば、表参道入口の巨大な提灯が下がった「雷門」が有名ですよね。 切妻造の八脚門で、向かって右に風神像、左に雷神像が安置されています。 提灯には、表から見ると「雷門」、通り過ぎて裏から見ると「風雷神門」と書かれています。 この門の正式名称は、風神像と雷神像があるので「風雷神門」で、通称が「雷門」です。 この門は、1865年(慶応元年)に焼失後は、仮設の門が時折建てられていました。 門は、鉄筋コンクリート造で、1960年(昭和35年)に再建されています。 それは松下幸之助が祈願して、病気平癒した報恩として、この門を寄進したものです。 この大提灯は、三社祭と台風の際にのみ畳まれるそうです。 <天龍(男神)像> <金龍(女神)像> 門の裏側には、西の金龍(女神)と東の天龍(男神)が、1978年(昭和53年)に奉納されました。 <宝蔵門> 雷門を抜け、仲見世通りを抜けるとみえてくるのが、この宝蔵門です。 入母屋造の二重門で、江戸時代には、年に数度だけ2階部分に昇ることができたそうです。 現在の門は、1964年(昭和39年)に再建されたもので、大谷米太郎夫妻の寄進によるものです。 門に向かって左(西)に阿形(あぎょう)像が、右(東)に吽形(うんぎょう)像が安置されています。 門の背面左右には、魔除けの意味を持つ巨大なわらじが吊り下げられています。 <本堂> 宝蔵門を抜けると、本尊の聖観音像を安置した本堂(観音堂とも呼ばれる)が見えてきます。 1945年(昭和20年)の東京大空襲の焼失し、1958年(昭和33年)に再建されてものです。 本堂正面には、大提灯と向拝の聯(ごはいのれん)が掛けられています(下段左)。 外陣(げじん)にも聯が掛けられ、その奥の内陣にある宮殿(くうでん)が見えています(下段右)。 <本堂> <五重塔> 本堂を後にし、振り返ったときに本堂の側面と裏面が見えていました。 正面から見た本堂とは、まったく趣が異なるたたずまいです。 グルっと周って戻るとき、右手に五重塔が見えていました。 この五重塔は、1973年(昭和48年)に再建された鉄骨・鉄筋コンクリート造りです。 この五重塔の最上層には、仏舎利が収められているそうで、 スリランカのイスルムニヤ寺院から1966年(昭和41年)に奉戴(ほうたい)されたものとのこと。 この後、浅草寺を後にして、水上バスの乗り場に行き、お台場行きに乗りました。 |
お台場
水上バスで川を下って、お台場に向かいます。 途中、勝鬨橋の下を通ったのですが、橋げたとの距離はあまりなく、スリリングでした。 お台場に近くなると、レインボーブリッジと台場公園の石垣が見えてきました。 間もなく、到着です。 水上バスを降りて、ゆりかもめに乗るまで、少し時間があったので近くを散策しました。 ポピーの花がたくさん咲いている所がありました。空き地の有効活用ですかね。 その近くには、ヒルザキツキミソウがたくさん咲いていました。こちらもなかなか可憐です。 |
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